豆腐に柳

音楽、書物、映画等の感想、その他日々のあれこれ

堀江敏幸 / 未見坂

未見坂堀江敏幸

 2008年秋発表の、たぶん現時点での小説作品としては、最新刊。
 体裁は、以前、谷崎賞を受賞した「雪沼とその周辺」で試みられた、ひとつの架空の町とその周辺に住まう人々の別々の短い物語を連作化した短編集、の第二弾といったところか。だからひとつひとつの物語の物語全体に対する位置の取り方というものには、ある程度共通するものもあるだろうと思う。ただ私が、この書物の最初の物語を、つまり連作集として最初に置かれた「滑走路へ」を読み始め、読み終えたときには、この著者のこれまでの小説作品とは別の何某かを感じることになった。それは小説世界そのものの質ではなく、その世界を描き出す手法の差異ということになるだろう。感じたのは、大雑把に言えば、物語が、何だか無防備に「開かれている」とでもいう感覚である。また言葉の措辞や細かいニュアンスの醸し出し方においても、これまでにないある種の「大胆さ」を感じることになった。
 ただこのあたりは、こういう連作短編集が、おそらくこれまでに「雪沼とその周辺」しかないのだろうから、もう一度件の連作集を読み直してみなければ何ともいえないだろう。ただ厄介なことに今のところ、再読の予定がない。もちろん仮に再読したとしても、どうなるかわからないというのが本当のところだろう。いずれにしろ、上記の感想は暫定的なものとしておくほうがよさそうだ。
 ただ、とりあえず上記の感覚を「新鮮さ」として好感できたことは、間違いない。
 上手いな、と思ったことが読書中何度かあった。一方で、この作家独特の言葉の使い方は時折、これまで以上にその個性を発揮しているようにも思える。それは、大胆さと綿密さ・細心さを同居させた結果、言っていることは当たり前のように思えるが、それをこんな風に描写されるのを読んだことがないとでもいうような感覚をもたらす。たぶん、作家本人には、さして、いやほとんど「大胆さ」の意識などないのではないかと思うのだが、できた物語は、充分に「新しい」言葉や感覚を獲得している。それは、ここに描かれた架空の町の住人のもつ「リアリティ」と呼応している。つまり我々自身とも呼応しているということである。
 これはやはりひとつの「収穫」であるように思う。
 

52 / 100

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52. Robert Wyatt / Mid-Eighties

 昔、雑誌「ロッキング・オン」には「読者ページ」みたいなものがあり(今もあるのかもしれないが)、そこにはたとえば、「〇月〇日に新宿の何某というレコード店でロバート・ワイアットの「ロックボトム」を買った髪が肩くらいの長さの男性の方、友達になりましょう」といった告知というか人探しの投稿が掲載されていたりしたものである。牧歌的な時代であった。
 で、ワイアットのソロは、ソフトマシーンよりもずっと先んじて聴いた。その当時ごく普通に手に入るアルバムはたぶん皆聴いたんじゃないかと思う。
 ただ一番よく聴いたのはこの編集盤。コステロの「シップビルディング」のカヴァーが話題になった後くらいにリリースされたように思う。アルバム'Old Rottenhat'全曲に「シップビルディング」12インチ等からセレクトされているようだ。
 モンクの'Round Midnight'、ガブリエルの'Biko'、 そして何と言っても白眉は'Memories of You' だろうか。彼のカヴァーセンスが発揮された好作である。

福岡伸一 / 世界は分けてもわからない

福岡世界

 分子生物学者の、今年出た新刊新書。
 結局この著者の書物は、一冊を除いてすべて読んだことになる。
 今回も、ちょっしたミステリー仕立ての構成を利用しながら、巧みに読者を引っ張っていく。
 タイトルは、つまり科学というものは、すべからく分析という発想・手法から逃れられず、我々は科学者であろうとなかろうと、二分法を疑いながら、しかし結局は二分法の効果に抗えないでいるが、結局、世界はいくら切り分けてみても解明されることはない、というようなことを示唆していると言っておくことにする。
 あるいは、15世紀イタリアで描かれた画家ヴィットーレ・カルパッチョの絵画について、あるいは「マップラバー」と「マップヘイター」について、またあるいは写真家・渡辺剛の写真集「Border And Sight」について、ES細胞とガン細胞について、そこに存在しないものを「見てしまう」ことについて、部分と全体について、生物学者エフレテム・ラッカーとマーク・スペクターについて等々、様々なトピックがすべて、分析・分割の意味と無意味さの両方を語っているように思える。
 「科学」にできることは、たぶん、つまりそういうことなのではないかと。いやそれが「科学」であろうと「非科学」であろうと、あるいはそのどちらでもなかろうと我々は、常にものの両面を見てしまうのである。
 「治すすべのない病」。イタリア語でインクラベリ、英語では"incurable"、不治の病。
 須賀敦子に触れた一節で登場するこの言葉は、「分ける」ことに対する、人の執着心をも表している。
 読後、ある種の軽い「徒労感」に襲われるのは、結局、人間は誰も皆「不治の病」に罹患して生まれてくるということに思い至るからかもしれない。
 今回、12の章の各々の初めに、書物の引用が置かれているのが、著者の関心と読書傾向を暗示しているようにも思え、なかなか興味深かった。
 新約聖書、村上春樹、澁澤龍彦、川上未映子、カミュ、丸山薫、G.K.チェスタトン、須賀敦子、川上弘美、等々。
 おそらくこの著者の書物は、今後も読むことになるだろう。

SiGHT 2009 Autumn / ね! 政権交代っておもしろい

sight秋2009

 随分、機を逸したエントリーになってしまったので「パス」しようかと思ったのだが、とりあえずちょっとだけ。
 渋谷陽一責任編集の季刊誌の「秋号」である。出たのは確か9月末。基本的にはインタヴュー雑誌である。
 特集テーマは「政権交代」。まだその出来事の、ある種の「熱」が漂っている時期だったということが、インタヴューそのものに表れている気がする。それから1月以上経ち、現在私たちは、民主党政権に対してもっと「現実的」に施策の有り様を検証し始めている。
 インタヴュイーはこの雑誌おなじみの面々の、田中秀征、藤原帰一、小野善康+湯浅誠、内田樹+高橋源一郎に加え、江田憲司、伊藤惇夫等も登場。
 個人的な目当ては、やはり内田教授ということになるが、今回の高橋源ちゃんと渋谷陽一との鼎談は、かなりおもしろかった。例によって、内田・高橋の両氏が、まぁ、「言いたい放題」に発言しているわけだが、それが今回は特に的を射ていただけでなく、何と言うか「芸」として面白かったという気がする。いや逆かもしれない。「芸」として面白かっただけでなく、的をも射ていたと。
 ひとつ気になったのは、渋谷陽一がインタヴューの初めに、「前書き」みたいな文章を書いているのだが、これがどうもインタヴュイーを「持ち上げ」すぎている嫌いがあることである。「すべて、本誌で田中秀征が予言し続けてきた通りになった」とか、藤原帰一のところでは「民主党はもう本当に、今すぐこの通りに始めてほしい、と言いたくなるくらいリアルな、かつ具体的なビジョンが、氏の話の中にはある」とか、内田・高橋のところの「「鋭さ」「深さ」「正しさ」「おもしろさ」のすべてを持つ稀有な論客おふたり」とか、ちょっと過剰な感じがした。

関川夏央 / 汽車旅放浪記

関川汽車旅

 久方ぶりの関川夏央である。以前は「出ると買う & 読む」に近かったのだが、このところはすっかりごぶさたしていた。
 この文庫も、親本は三年前に出ていたらしいのだが、そのこと自体を知らなかった。別に疎んじていたわけでも避けていたわけでもないし、今も著者の文体は私にとってかなり好ましい、読んでいて快適なタイプのものであるのは間違いない。ただこの書物では、テーマないし企画のせいか、旅程や鉄道自体の説明的な部分が多く、著者の「文体」が抑えられぎみのように思えたのが、やや残念な気がした。
 この書物で初めて知ったのだが、著者はいわゆる「鉄ちゃん」なんだそうである。私にはよくわからないが、たとえばタモリや原田芳雄が時折「タモリ倶楽部」で「鉄ちゃん」ぶりを見せているが、あれは世代的なものもあるのだろうか。などとふと思ったりもする。
 中身は、大きく三つの章に分かれる。「楽しい汽車旅」「宮脇俊三の時間旅行」「「坊ちゃん」たちが乗った汽車」の三章だが、それもまた比較的「緩い」枠組みで、全体に共通するのは、実際に著者が足を運び、鉄道に乗り、自身の体験や訪れた鉄道に関する歴史的な経緯、またその鉄道や土地に縁の文学的なモティーフが語られるということである。取り上げられるのは、松本清張、林芙美子、太宰治、高村光太郎、宮澤賢治、川端康成、夏目漱石等々、数え上げればきりがないほどである。
 たとえばここあるのは、言い換えれば私が著者の文章に好感を持ち続ける理由のひとつは、「含羞」とか「抑制」とかいうことかもしれないと思う。自らの語りえるところを冷静に考慮、斟酌しながら運ばれる筆の動き、つまり「一線」を越えないことを己に厳しく課した文章だろうということである。この著者の文章に感じる何某かの「後味のよさ」はおそらくそこに由来する。
 鉄道の詳細な説明には少々めんどくさい思いも伴いながらいい加減に読み飛ばしたにも関わらず、読後感はかなり良好だったのはそういうことだろうと思う。

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