2019.09.16[月] Movix橋本 映画「フリーソロ」
9/10、Movix橋本で映画「フリーソロ」を観る。
監督はエリザベス・チャイ・ヘリィとジミー・チン。あの「メルー」のコンビである。
ということでこの作品もドキュメンタリー。制作はナショナル・ジオグラフィック・ドキュメンタリー・フィルムズ。
クライマーのアレックス・オノルドがカリフォリニアのヨセミテ国立公園にそびえる高さ975mの巨岩エル・キャピタンに「フリーソロ」で挑む様を多方向からのカメラで捉えた、驚くべき作品。
「フリーソロ」とは、クライミングにおいて一般的な用語かどうかはわからないが、この場合は、身体を支えるロープも安全装置も一切使用せずに登ること、を指す。つまりクライマーがまさに身一つで絶壁巨岩に挑むということになる。
こういう試みに、素人が何を言っても意味をなさないのを承知で言えば、エル・キャピタンの映像を見ると、ここを「フリーソロ」で登るなんて、そんなの無理だろというのが率直な感想。
それまでにガールフレンドやクライマー仲間に協力してもらいながら練習を重ねて、2017年6月3日の朝に彼は、これまで誰もフリーソロで登りきったことのないエル・キャピタンに挑む。
カメラワークがすばらしい。何台かのカメラがいくつかの方向から近く、また遠くから彼の登攀を捉える。
監督のジミー・チンも画面に何度か登場する。実は、アレックスは一度、撮影クルーと一緒であることを理由にこのチャレンジを途中で断念している。監督にも相当の葛藤があったようだ。監督は、オノルドが登攀に失敗して滑落するかもしれないことを覚悟していた。しかし、オノルド自身がカメラが回る中でのチャレンジを納得・了承したことで、彼らに共有されたのは、このチャレンジを記録に残すことの意義だった。
しかし、この映画、改めて、人間が、身の程知らずの、なんと無謀で命知らずなチャレンジをしてしまう生物かと呆れさせる。、
アレックスは「生の実感」というようなことを口にしていた。我々は「死」を通してしか「生」を実感できないようにできているのかもしれない。
しかし一方で、経験と鍛錬で、その一見無謀なことを成し遂げる恐るべき能力を秘めていることも教えてくれる。
カメラワークには、しかしほんと、感心しました。
クルーの熱意もそうだが、これだけの映像を可能にする技術革新にも。
映画オフィシャルサイトはこちら
監督はエリザベス・チャイ・ヘリィとジミー・チン。あの「メルー」のコンビである。
ということでこの作品もドキュメンタリー。制作はナショナル・ジオグラフィック・ドキュメンタリー・フィルムズ。
クライマーのアレックス・オノルドがカリフォリニアのヨセミテ国立公園にそびえる高さ975mの巨岩エル・キャピタンに「フリーソロ」で挑む様を多方向からのカメラで捉えた、驚くべき作品。
「フリーソロ」とは、クライミングにおいて一般的な用語かどうかはわからないが、この場合は、身体を支えるロープも安全装置も一切使用せずに登ること、を指す。つまりクライマーがまさに身一つで絶壁巨岩に挑むということになる。
こういう試みに、素人が何を言っても意味をなさないのを承知で言えば、エル・キャピタンの映像を見ると、ここを「フリーソロ」で登るなんて、そんなの無理だろというのが率直な感想。
それまでにガールフレンドやクライマー仲間に協力してもらいながら練習を重ねて、2017年6月3日の朝に彼は、これまで誰もフリーソロで登りきったことのないエル・キャピタンに挑む。
カメラワークがすばらしい。何台かのカメラがいくつかの方向から近く、また遠くから彼の登攀を捉える。
監督のジミー・チンも画面に何度か登場する。実は、アレックスは一度、撮影クルーと一緒であることを理由にこのチャレンジを途中で断念している。監督にも相当の葛藤があったようだ。監督は、オノルドが登攀に失敗して滑落するかもしれないことを覚悟していた。しかし、オノルド自身がカメラが回る中でのチャレンジを納得・了承したことで、彼らに共有されたのは、このチャレンジを記録に残すことの意義だった。
しかし、この映画、改めて、人間が、身の程知らずの、なんと無謀で命知らずなチャレンジをしてしまう生物かと呆れさせる。、
アレックスは「生の実感」というようなことを口にしていた。我々は「死」を通してしか「生」を実感できないようにできているのかもしれない。
しかし一方で、経験と鍛錬で、その一見無謀なことを成し遂げる恐るべき能力を秘めていることも教えてくれる。
カメラワークには、しかしほんと、感心しました。
クルーの熱意もそうだが、これだけの映像を可能にする技術革新にも。
映画オフィシャルサイトはこちら