■ 50 / 100

申し訳ない。
ここのところ更新が滞りがちになっているのは、単に仕事が忙しくなっているからである。希望的観測では、たぶん来週くらいから、ほぼこれまでに近い頻度の更新が可能になるのではないかと思われる。ご了解を。
50. Beck, Bogart and Appice / Beck, Bogart and Appice Live
最初に買ったのは、LP1枚に編集されたヴァージョンだった。たぶん金を惜しむ理由があったからだろう。
日本でのみしか発売が許可されたなかったのは、演奏の出来があまりよくなかったからだとかいう話もあるようだ。言われてみれば、ミストーンも少なくなさそうだが、ライブでノー・オーヴァダブだとこんなものなんじゃないかとも当時思っていたように思う。
これが、まれに聴くストロング・スタイルのハード・ロッキン・ライブアルバムであることを認めたうえで、あえて言うと、やはりヴォーカリストの不在は大きいということになる。ここにロッド・ステュワートがいたらと思わないではないということだ。あるいは、ボブ・テンチでもいい。
ただ逆に言えば、その不在こそが、このバンドをこのバンドたらしめた決定的な要素であるということでもある。
しかし、クリームやエクスペリアンスと比較するにはキャリアがどうしたって短すぎるのも明白である。
まぁ、かっこいいことは間違いないんだけれど。
■ 訃報 加藤和彦
遅ればせながら。
突然の訃報に驚いた。それも「自殺」とは。
フォークルはリアルタイムだった。ということは、彼の活動はすべてリアルタイムだったということだ。
私は、彼にとってはあまりいいリスナーではなかった。彼名義の音源を身銭を切って聴いたのは、たぶん「サイクリング・ブギ」の7インチシングルだけだと思う。
が、そうでなくとも、拓郎の「結婚しようよ」や泉谷の「春夏秋冬」のアレンジは、そしてむろんミカ・バンドの音はその時代毎に頭の中で反芻されていた。
フォークルのメンバーで、かつて作詞家として活躍し、現在は精神科の医師である、きたやまえおさむ氏が、10/19の朝日新聞朝刊にコメントを寄せている。
タイトルは「加藤和彦さんを悼む すべて一流のプレーヤー」。
「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。」と書きだされる文章は、長年の友人にしか許されない表現と文体で綴られている。
その中に、挙げられているのが、「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」という「今から数十年前の」加藤和彦の言葉で、氏は、彼は何をやらせても「一流」で「天才」的だったと述べている。
たとえば、ここに現れている「趣味人」的な意識と姿勢が、音楽方面では何枚かのソロアルバムの販促コピー等にも感じられ、私には少々「違和感」として残ったのだろうと思う。「パパ・ヘミングウェイ」とかあの頃である。
けれど逆に、ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」とか上記の「サイクリング・プギ」のように大衆的にポップに振れ切れたときの「瞬発力」は、そういう私のような凡人にも十二分に魅力的に映ったし、たぶん音楽のクリエイターとしては確かに「天才的」だったのかもしれないと思う。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かぬところへ飛んでいった。」と言いながら、訃報を聞いてから、おそらく癒えぬ辛さと無念さを抱えたままの氏は、「しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」と述べて文章を閉じる。
全文がここやここに転載されている。
いい文章だと思う。
辛い思いを抑えようという意志とそれでも抑えきれない思いが、この文章に充分な深度を与えている。
きたやまおさむ氏が、NHK-FMで番組を持っているらしいので、聴いてみたいと思う。
加藤和彦氏のご冥福をお祈りいたします。
突然の訃報に驚いた。それも「自殺」とは。
フォークルはリアルタイムだった。ということは、彼の活動はすべてリアルタイムだったということだ。
私は、彼にとってはあまりいいリスナーではなかった。彼名義の音源を身銭を切って聴いたのは、たぶん「サイクリング・ブギ」の7インチシングルだけだと思う。
が、そうでなくとも、拓郎の「結婚しようよ」や泉谷の「春夏秋冬」のアレンジは、そしてむろんミカ・バンドの音はその時代毎に頭の中で反芻されていた。
フォークルのメンバーで、かつて作詞家として活躍し、現在は精神科の医師である、きたやまえおさむ氏が、10/19の朝日新聞朝刊にコメントを寄せている。
タイトルは「加藤和彦さんを悼む すべて一流のプレーヤー」。
「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。」と書きだされる文章は、長年の友人にしか許されない表現と文体で綴られている。
その中に、挙げられているのが、「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」という「今から数十年前の」加藤和彦の言葉で、氏は、彼は何をやらせても「一流」で「天才」的だったと述べている。
たとえば、ここに現れている「趣味人」的な意識と姿勢が、音楽方面では何枚かのソロアルバムの販促コピー等にも感じられ、私には少々「違和感」として残ったのだろうと思う。「パパ・ヘミングウェイ」とかあの頃である。
けれど逆に、ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」とか上記の「サイクリング・プギ」のように大衆的にポップに振れ切れたときの「瞬発力」は、そういう私のような凡人にも十二分に魅力的に映ったし、たぶん音楽のクリエイターとしては確かに「天才的」だったのかもしれないと思う。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かぬところへ飛んでいった。」と言いながら、訃報を聞いてから、おそらく癒えぬ辛さと無念さを抱えたままの氏は、「しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」と述べて文章を閉じる。
全文がここやここに転載されている。
いい文章だと思う。
辛い思いを抑えようという意志とそれでも抑えきれない思いが、この文章に充分な深度を与えている。
きたやまおさむ氏が、NHK-FMで番組を持っているらしいので、聴いてみたいと思う。
加藤和彦氏のご冥福をお祈りいたします。
■ 49 / 100

49. Brian Eno / Music For Airports
イーノのアンビエント・アルバムはかなり聴いた。たぷん最初に聴いたのは、"Discreet Music"だったと思うが、やはり聴く頻度はこの「エアポーツ」が最も高い。
コンセプトも音も、それまでほぼ考えもしなかったようなものだった。画期的だった。音自体も非常によく出来ていて、まことに心地よかった。今、私がジャズやいわゆるクラブ系と称される音を聴くことが多いのは、このイーノの一連の作品に出会ったことが大きいような気がする。当時の私にとっては、いわゆる「音楽」という概念を覆してくれた作品群であり、これがその最たるものということになる。
■ Joe Henry / Blood From Stars

本年リリースの新作。
バンドには、2人のキーボード・ブレイヤーとサックス&クラリネットを兼任するプレイヤーが含まれるが、何と言っても今回の目玉はギターのマーク・リボーということになろう。
ゲストのジェイソン・モランの生ピアノに導かれる"Prelude : Light No Lamp"からして、アルバムや封入されたブックレットのカヴァーに使われた50年代の写真から立ち上ってくる、今は失われてしまった「ムード」が伝えられる。それはたとえば、文字通りの意味で「国をつくる」ことの意味を直に確かめられた時代への郷愁に似た何某かということになるかもしれない。あるいは手や額に汗した労働の時代といってもいいのかもしれない。
「ジャズ」というわかりやすいタームで括れるような音ではない分、音の質は、より深化し、彼の声も自身の中の「アメリカ」を探索すべくその位置を定めたかのように思えるが、一方で声もサウンドも決してただ内へ向かうばかりではない。内へ向かうと同時に外部を撃ち、あるいはそこへ浸透するような「手練」も感じさせる。
総じて印象は、しかしながら今回、率直でストレートである。音数も少なめに、言葉とメロディを紡ぎ落とす。苦い声と地に脚をつけたアレンジで時間と空間に呼吸させながら楽曲を進めてゆく。
ロマンティシズムとリアリズムが交錯する様は、恐らくアルバム・タイトルに最も象徴的かもしれない。とはいえ、詞もろくに読んだわけではないのだが。
今回もまた傑作というべきか。アルバム"Scar"以降、プロデューサー業も含め、充実する活動の中、それなりのインタバルでこうしてきちんと自身のアルバムを届けてくれるのは、リスナーにとっては嬉しいことだし、また彼の好調さを証立てている。
試聴
■ Nostalgia 77 / Songs For My Funeral

ベン・ラムディン率いるユニットの1stアルバム。2004年リリース。
個人的には、この名義でのアルバムを聴くのは2枚目。最初に聴いたのが"Everything Under the Sun"というほぼ歌モノのソウル・ジャズだったので、インスト&ヒップホップのこちらを聴いてみたくなったということで入手。ちなみに上記に「率いる」としたが、この1stは、もしかしたら全部彼一人の制作ということになるのかもしれない。彼以外にプレイヤーのクレジットが皆無なのと、レーベルTru thoughtsからのサンクス・クレジットの文言の一部に"a quality album from his bedroom"とあることからもそういう可能性が高そうだ。
2枚目以降、ジャズ色がぐっと濃くなるようだが、この1stではまたジャズとヒップホップが拮抗しているという印象か。
少々フリーキーなサックスの音と、時折のソウル色、また猥雑で、ある意味演出されたストリート感覚を呼び起こすヒップホップの要素、さらにダブ等が全体に大して整理することなく混在している様もまたむろん計算の上だろう。そしてその中に非常にメランコリーを感じさせる部分が差し挟まれるのも、アルバムタイトルからもそれなりに意識されたことだろう。そういう趣向もまた実に「英国的」といえるのかもしれない。聴く人によっては実に陰気に聞こえるかもしれないが、そういうリスナーはまず最初からこのタイトルのアルバムの音を聴きたいとは思わないので、どうということはない。
全体にそういう、意識され、計算された音の感触を感じるが、そこが「鼻につく」というわけではなく、「計算された音だ」と思わせる意図さえも感じる音に仕上がっている。音自体にラフなところも相当含ませながら全体にはきちんとコントロールされた、そういう「いびつ」なところが「しっかり」音に反映されているのもおもしろい。やはり相当の手練によるものだということはわかる。
試聴
■ 48 / 100

48. Brian Eno / Another Green World
このアルバムを知ったのは、たぶん当時愛読していた「ロッキング・オン」の記事だったと思う。ただ実際に耳にしたのは、リリースされて大分経過してからだったはずだ。当時、イーノをどの程度知っていたかはよく思い出せない。基本的に、プログレ系やロキシーみたいな音は得意じゃなかったので、そもそもはあまり興味がなかったミュージシャンだったと思う。それにアンビエント・シリーズのアルバムとどちらを先に聴いたかも判然としない。
ただポップアルバムとしては、彼の最初の2枚も、時期はわからないが、聴いていたのは確かである。その中で、おそらく最も印象深かったのがこの作品。
浮遊感というかやや「浮世離れした」というかそうした不思議な音とイーノの涼しげなヴォーカルが非常に心地よかった。「セント・エルモス・ファイア」が好きだったのを思い出す。
■ Fat Freddys Drop / Dr.Boondigga and the Big BW

いわゆるクラブ系の音の情報源としてよく参考にさせてもらっているサイトecrnで初めてその存在を知ったニュージーランドのダブ/レゲエ・ソウル・バンドの2nd。ホーン隊を含む7人編成の大所帯バンドのようである。このアルバムには、ほかにヴォーカルのアリス・ラッセル等、多数がゲストとして参加している。
レゲエをベースとした重心の低いファンキーなリズムで、全体としてはタイトでしかも温かみのあるソウル・ミュージックが実に高水準に維持されていることに少々驚く。
サウンドとしてもダブを初めとしたSE的な音も嫌味ではない程度に使われるが、中心にはあくまでヴォーリストのダラス・タマイラ(Dallas Tamaira a.k.a. Joe Dukie)の歌である。彼がまた、張り上げることなく淡々と、しかしじわじわと熱と帯びてくるような、実にソウルフルないい声をしているのである。さらに曲自体の出来も出色。実は、このアルバム以外に既に1stアルバムと、さらに4曲で70分という尺のライブEPも聴いたのだが、つまり4曲で70分をだれることなく聴かせる強靭な演奏力も獲得しているということだ。確かに音としては地味かも知れないが、日本ではあまり話題なっていないのはなぜなんだろうと思う。
ともかくオーガニックなソウルでありながら、それだけではなくサウンドとしてカッティング・エッヂというか、エクスペリメンタルというかそういう面も兼ね備えた、しかもレゲエでありダブでもありまたファンクでもあり、さらに、それらが交じり合っているのかそうでないのかよくわからないまま、音楽としてはともかく聴かせるというスケールの大きさを感じるバンドだ。いや、久方ぶりに、「バンド」として大きな「才能」を感じさせる「逸材」に出会った感がある。
ライブから遠ざかっている身ではあるが、彼らがもし来日したら、見に行ってしまうかもしれないと思わせるような。
常識的には、ヴォーカリストとキーボード・プレイヤーがキー・プレイヤーだろうと。
試聴もできるオフィシャルサイト
■ The Last Electro-Acoustic Space Jazz & Percussion Ensemble / Fall Suit

Yesterdays New Quintetの別名義企画の、2007年にプロモか何か中心に流通されていたという"Summer Suite"に続いて、その続編ともいうべき"Fall Suite"が再リリースされた、ということらしい。再リリースとも言ってもこんなものがあるとは私は今までまったく知らなかったのだが。
今回も体裁は、1トラックで39分弱。組曲形式になっており、4つほどのパートに分かれているのも前回"Summer Suite"と同様。
前回と少々趣が異なるのは、季節柄もあってか、音自体としても、フィールドレコーディングの音源らしき自然の音(鳥の声や水や雷鳴の音など)や風の音を模したSEが聞こえたり、本物ではないだろうがストリングスがフューチャーされたりしているのが耳を引くが、全体の趣も"Summer Suite"とは大分異なる。前半はどちらかというと夏の名残を楽しむような陽性の音に彩られるが、徐々に季節に流れる空気の速さや変化、冬へ向かう季節を表現する風情に変わってゆく。上述したストリングスの音色は非常に効果的に響いている。マッドリブのつくる音としては今までこうしたタイプは聞いたことがないようにも思う。
彼の音楽性の幅広さを改めて感じた。
しかしそろそろYNQの新譜が聴きたいような。
試聴
■ 鈴木清順 インタヴュー記事
9/28の朝日新聞の夕刊、「人生の贈りもの」というシリーズのインタヴュー記事で、鈴木清順がインタヴュイーとして登場している。
1923年生まれの現在86歳。最近、あまり映画の話を聞かないので引退したのかとも思っていたが、2005年には、現時点での監督最新作「オペレッタ狸御殿」(チャン・ツィイー主演で、かつての日本映画のリメイクだそうだ)も撮っているとのこと。現在は「肺気腫」を患い、闘病中。ただ入院はしておらず、酸素吸入の管をつけて日常を過ごしているということだ。そのせいで「行動の自由が奪われています」と彼は言うが、写真を見ると表情自体は明るく見えてちょっとほっとした。
で、このインタヴューが短いながら、力の抜けたところが実にいい感じなのである。
「人生で、自分の方から、というのは何もない」という言葉から始まり、「(映画は)「面白くするにはどうすればいいか」しか考えない。(中略)面白さのために物語をいろんな仕掛けで、ぶった切っていく。」「「映画は頭ではなく、目で見なさい」ということです」等、いわゆる現代のメディアや知識人的な「常識」を覆すような発言が小気味いい。
無論、ここでも彼自身が語っているような、彼が成長した時代背景の問題もあるだろう。ただ「主体的に自らの人生と可能性を切り開くポジィティヴィテイー」という現代のメディアが好んで取り上げる最早「紋切り型」の姿勢にはない、「呼ばれた」あるいは「与えられた」機会やものに対して真摯に取り組むという、本来の日本人に合ったスタンスのほうが、無理がなくて、結果多くの人が「幸福」に生きていけるのではないかと思った次第である。
あるいは映画(や他の表現形態でも同様だが)についても、「目で見る」というなかなか生半可な映画人には言えそうにない、「エンターテイメント」を一義とした姿勢にも、何だかすがすがしさを感じることになった。
1923年生まれの現在86歳。最近、あまり映画の話を聞かないので引退したのかとも思っていたが、2005年には、現時点での監督最新作「オペレッタ狸御殿」(チャン・ツィイー主演で、かつての日本映画のリメイクだそうだ)も撮っているとのこと。現在は「肺気腫」を患い、闘病中。ただ入院はしておらず、酸素吸入の管をつけて日常を過ごしているということだ。そのせいで「行動の自由が奪われています」と彼は言うが、写真を見ると表情自体は明るく見えてちょっとほっとした。
で、このインタヴューが短いながら、力の抜けたところが実にいい感じなのである。
「人生で、自分の方から、というのは何もない」という言葉から始まり、「(映画は)「面白くするにはどうすればいいか」しか考えない。(中略)面白さのために物語をいろんな仕掛けで、ぶった切っていく。」「「映画は頭ではなく、目で見なさい」ということです」等、いわゆる現代のメディアや知識人的な「常識」を覆すような発言が小気味いい。
無論、ここでも彼自身が語っているような、彼が成長した時代背景の問題もあるだろう。ただ「主体的に自らの人生と可能性を切り開くポジィティヴィテイー」という現代のメディアが好んで取り上げる最早「紋切り型」の姿勢にはない、「呼ばれた」あるいは「与えられた」機会やものに対して真摯に取り組むという、本来の日本人に合ったスタンスのほうが、無理がなくて、結果多くの人が「幸福」に生きていけるのではないかと思った次第である。
あるいは映画(や他の表現形態でも同様だが)についても、「目で見る」というなかなか生半可な映画人には言えそうにない、「エンターテイメント」を一義とした姿勢にも、何だかすがすがしさを感じることになった。
■ Jan Jelinek / loop-finding-jazz-records

初めて聴いたのは昨年だったか一昨年だったか。2001年リリースの、何でも本人名義での1stアルバムらしい。
コンセプトは、タイトルから推すに、ジャズ・レコードをサンプリングした素材をループして制作するということなんだろうが、出てきた音は、私たちがイメージするジャズとは縁もゆかりもない極めてエレクトロニックな質感を持つ「代物」である。が、これが極めて心地よい。
ミニマルであり、幾分ダブでもあり、エレクトロニカであり、きっとその他諸々でもあるのだろう。クリック・ハウスとかミニマル・ダブとかいろいろ言われているようだが、そういう呼称はこの際さして重要ではない。
聴いていると、適度にエアコンディショニングされた生理的に快適な空間が心象として形成されるのがわかる。いくらかメロディらしきものもある。場合によってはそれがほのかにメランコリックでさえある。だから聴いていて疲れない。
たぶんこういう皮相的には、人肌から乖離した音こそ、最も人肌を感じさせる作用をもつという時代なのかもしれない。あるいはそういう「空気」を少なくとも内包する時代と言ったほうが正確か。パーソナルな人と人との距離感は顕かに従来とは変化しているわけだから。
今回久しぶりに聴いてみて、改めて「見直した」というか「聴き直した」ところがあったので、入手後さほど聴く機会のなかった、彼の別名義のFARBEN、あるいはGRAMMといった音源も、もう一度聴いてみようと思う。
試聴

