豆腐に柳

音楽、書物、映画等の感想、その他日々のあれこれ

The Church / Untitled#23

churchuntitled#23

 今年リリースの新作アルバム。オリジナルアルバムとしては、ほぼ3年ぶり。タイトルは上記のように素っ気ないものになった。
 バンドは、今作もここ数年の不動のメンバーで構成されており、加えて幾人かのゲストがクレジットされている。
 曲は、すべてメンバー全員の共作。
 また、今作から'Unorthodox'というバンド主宰のレーベルからのリリースという形式になっているのが目を引くところか。
 全体のムードは、前作の比較的陽性に傾いたポップな曲想中心とは異なり、やや重めでダークな方向にシフトしている。
 大体、このバンドはアルバム単位で、この明暗の振れ幅を往来する傾向にあるので、個人的にはどちらかというと前作のほうが趣味に合うが、ま、仕方ないかと(というのも妙だが)いう気もする。
 ただ音の感触は、以前に感じられたプログレ的とも言えるヘヴィーなものではなく、よりアコースティックなものに傾いている。
 だから、ムードは多少ダークではあるが、さほど気にならない。
 また、全10曲で50分ほどという、近年の彼らにしてみると、コンパクトにまとまっているのもいい方向に作用しているように思う。
 メロディーも、落ち着いてはいるが、それなりに「ポップ」で耳なじみのよい楽曲も少なくはない。全体に小品で構成された印象は、個人的には好感が持てる。
 しかしこのバンドも実に長きに渡って着実な活動を続けているものだと改めて思う。
 80年代のバンドで一度も解散することなく、今日まで継続しているバンドは、もう数えるほどではないのだろうか。
 あとは、毎度のことながら、ライブアルバムと来日公演か。

MF Doom / Metal Fingers Presents: Special Herbs, Vol. 5&6 / 9&10

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 Madlibとの共演アルバムもあるMF Doomのインスト・アルバムシリーズ"Special Herbs"のうち上記のCD2枚を。ジャケは左が、Vol 5&6, 右が、Vol.9&10。
 たぶん全編サンプル・オンリーで構成されているのだと思う。だからまあ、エディトとかミックスとかに関する技術的な部分を別にすれば、あとは「センス」一発というところもあるのかもしれない。
 MixCDみたいなものである。
 ということであるなら、彼が「センス」がいいことは疑いないだろう。ただ彼の才能はおそらく、素材として誰でもサンプリングしたくなるようなものをまとめ上げるような方法ではなく、ちょっとどうなんだろと思うようなものをいかに「クール」に編集するかというところに発揮されるような気がする。「いなたい」が好感が持てるタイプというヤツか。
 チープだったりラフだったりする印象もあるが、そこがまた持ち味になっているところは、ある種の「人徳」さえ感じさせる。

Sense / a view from a vulnerable place

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 以前紹介したSenceの2001年リリース作。
 'Learning to be'の2年前の作品である。
 こちらのタイトルに使われた"vulnerable"は英辞郎によると「傷つきやすい、無防備な」といった意味。
 こちらもシンセらしき音が全編で聴こえてくる。
 音の基調は、'learning to be'とそうは変わらない。時にドリーミー、時に少々シリアス/ダークと適度 に曲想はばらけている。たとえば終盤のトラックでは、いくらか映画のサウンドトラックを思わせるような、穏かながらドラマティックなムードになったり、アンビエント色を強めたりと色調を変える。
 妙な言い方だが「憎めない」音である。

村上春樹 / 東京奇譚集

東京奇譚集

 世の中では「1Q84」を巡って様々な議論が巻き起こっている(?)ようだが、そんな折に前作の短編集(のそれも文庫版)の感想を書くのも何だが、まぁ仕方ない。
 ちなみに、この「前作」から途絶えたこの著者の新刊単行本即買い即読みは今回も途絶えたままになりそうである。たぶん文庫になったら読むことになるのかな。
 閑話休題。
 「東京奇譚集」である。この文庫も、文庫が出て(奥付を見ると「H19.12.1」)おそらくまもなく購入にいたったはずだが、読んだのが先日と、昔に比べれば考えられないほど村上春樹に対する読書熱が盛り上がらない私だが、ま、それは置くとしよう。
 そういうスタンスがよかったのかどうか、思っていたよりずっとおもしろく読めた。収められている五つの作品が皆、いくらかの程度の差こそあれ皆、おもしろかった。
 そういう意味では、改めて村上春樹を見直したということになるかもしれない。
 比較的近年の村上春樹の傾向のひとつであるように思える、謎めいたモティーフを設定し、物語を展開させ、最後に来て、その「謎」を謎のまま放り出すという手法は、ここに収められた短編の中のいくつかにも見られる。
 その手法の意味について改めて思ったのは、つまりは現実において「謎」はどこにでもあるという、言ってみればごく当然のことを改めて当然のこととして意識させるということになろうか。偶然の出来事や理由のわからぬ様々な事柄は、単一の理由だけで引き起こされたわけではないからこそ「偶然」になったり「理由」がわからなかったりするわけである。そして概ね現実の「出来事」の多くも、そうして、私たちのあずかり知らぬ網の目の上に浮上してくるということになる。だから、ことさらそれを「謎」とみなすかどうかは「扱い方」の問題にある。考えてみるに、村上春樹はその初期の作品では、それを「謎」とみなすことなく、当たり前のこととして「そういうものだ」と割り切っていたような気がする。それが、おそらくは長編で言うと「ねじまき鳥」あたりから「コミットメント」という言葉で語られる姿勢の変化をきっかけに(かどうかはよくわからないが)、よりシリアスに「謎」を「謎」として見るようになったのではないか。つまり「謎」には、「物語」で語られうるものが含まれている、と。人為的なものにせよ、人知を越えたものにせよ。ほとんど「思いつき」程度に過ぎぬことではあるが、そんなことも考えた次第である。
 ともあれ、「東京奇譚集」は悪くなかった。どうしようかな、「1Q84」。

坂本龍一 / Out Of Noise

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 冒頭の、耳なじみのいいメロディのきれいな曲を聴いて、ああ、こういうタイプのアルバムなのかと思ったら、その後まったく別の方向へシフトチェンジされてしまった。
 中盤から後半にかけて、北極圏初め、世界各地で敢行されたフィールド・レコーディングを含むドローン、ノイズ系の音が連なっていく。
 ゲストには、小山田圭吾、、高田蓮、クリスチャン・フェネス等。
 現在のワールドワイドな、エレクトロニックな音楽の流れを結構意識し、それを展開、発展させた音に聞こえる。位置づけとしては、先述したようにドローン、アンビエント色が濃く、序盤と終盤には、生ピアノによる非常にメロディアスな要素も織り込まれる。
 ただ、音そのものに対しては細心の配慮がなされ、おそらくこの手の音の中でも音そのものの「質感」では相当に「高品質」だろうと思う。
 個人的には、音の趣向としては素直に歓迎する。
 この作品のパッケージについてもそうだが(カーボン・オフセット等)、昨今の彼の、環境問題に対する姿勢も音に何らかの影響は与えているんだろうと思う。
 ただ、特にごく最近、CO2や地球温暖化、という「問題」を我々は少々問題視しすぎているのではないかという趣旨の書物を読んだということもあるのだが、「環境問題」についてもそうしたある種直線的なものの見方ではなく、種々の視点も必要なんだろうとは思う。

池田清彦・養老孟司 / ほんとうの環境問題 

ほんとうの環境問題

 昨年出て、当時それなりに話題になったのではなかったかと思う。
 三章立ての構成で、軽めの一章を養老、分量的には最も多い二章が池田、三章が二人の対談という構成。
 「環境問題」と一口に言っても、そこには様々な異なる問題が含まれるというところから話は始まり、昨今のCo2や温暖化の問題への疑義、あるいは「環境問題」は現在は、政治問題になっているとの指摘等々、興味深い内容になっている。
 確かに既に、地球温暖化を問題視することへの疑問、そしてCo2が温暖化の主因とされることへの疑問等も出されているわけだから、その精緻な検証は必要だろう。一方で、石油資源に依存しているエネルギー問題は、様々な意味で、特に資源輸入国の日本にとっては大きな問題だろうから代替エルルギーを模索する作業は継続していく必要がある。国家レベルでは、本書で二人も言うように、予算や経費、要するに金の問題も、外交的な絡み(排出権の問題等)も含めて、重要な問題だろう。そういった様々な要素を日本政府はもっと真摯に精密に勘案していくことも必要だろう。要は、まだまだいくらでもやるべきことがあるのに、一種の「エコ・ブーム」に流されてしまっている現況は問題だろうということだ。
 ただ、思ったのは、地球温暖化を問題視するのも、その原因を炭酸ガスだとするのも、いやそうじゃない、問題なのはむしろ寒冷化のほうだとするのも、私たち素人には判断のしようがないということである。そしてどうやら専門家にもそれは現時点では判断しかねる問題なのだろうと判断せざるを得ないということだ。であるなら、そうした現時点での状況を、できうるだけ素人にもわかりやすく伝えることがまずは先なのではないのかということだ。研究者ご自身の見解は、その後でいいのではないか。
 二人が述べるように、何事にも良否はあるわけで、温暖化も同様であるはずだ。それをきちんと伝えてほしい。そこからしか始まらないように思った。
 好評だったのか、この続編も昨年秋に出ているようだ。

Loren Connors / As Roses Bow  Collected Airs 1992-2002

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 「薔薇のたわむとき」とでもいうのだろうか。
 以前から名前だけは聞いていたが、まともに音を聴いたことがなかったギタリスト、ローレン・コナーズのコンピレーションアルバム。2枚組。
 リマスターはジム・オルーク。
 サブタイトル通り1992年から2002年にかけて発表された10枚のアルバムと7インチシングルから採られた曲に、4曲の未発表曲を加えて、全43曲の構成。
 プラケースのステッカーの文言によれば、彼の楽曲の中でも「最もメロディアスな」もののコレクションということになる。また、そこには、楽曲が"inspired by Irish airs"とも記されている。CD2の前半中心に、'Airs'と名付けられた1999年リリースのオリジナルアルバムからの楽曲が収録されてもいる。
 数曲で女性の淡いヴォーカルというかヴォイスが入るだけで、後はコナーズの「幽玄な」ギターがひたすらもの哀しげに、メラッコリックに、あるいは時にほの明るく、続くばかりである。
 これが悪くない。鉦や太鼓で絶賛するような作品ではないが、そこはかとなくいい。
 サブタイトルに示されるように、そこに漂い淀み流れる「空気」あるいは「心象」がギターで表現されるとかくやというような音である。つまり普段はほとんど気づかないが、それが希薄になったり失われそうになったりすると、その意義や必要性について深く思い至らされるような何某かについての音。静かで穏やかな音だが、一度耳にしてしまうと、「掛け替えのない」ように思える音でもある。一種の「アンビエント」・ミュージックとも言える。

SIGHT 2009 Summer 総力特集 さよなら自民党 一足先に終わりを惜しむ!

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 気の早いタイトルだが、多くの国民はおおむね似たような感懐を抱いているのではなかろうか。
もう、いいよと。
 ただここに掲載された7本のインタヴューの随所で語られているように、自民党がだめならその次はどうなるのかというと、現在の政局では、民主党しかないわけで、しかしご案内の通り、民主党は、言ってみれば第二の自民党でしかなく(鳩山、小沢、岡田はすべて自民党旧田中派出身だそうだ)、つまり大半のインタヴュアーを務めた渋谷陽一が言うように「さよなら自民党」の後に続くのは結局「こんにちは自民党」だろうというところに落ち着かざるを得ないという状況である。 
 そんな中で、外交、経済、医療、年金、地方行政、農業の各々「専門家」にインタヴューし、現在の問題を洗いだそうという企画である。さらに、内田樹教授と高橋源一郎に渋谷陽一を交えた鼎談(一応、体裁は内田・高橋両氏の対談ということになっている)では、自民党の理念亡き実体と日本語という言語に対する興味深い考察がテーマになっている。
 個人的には、内田教授目当ての購読だったわけだが、他の学者・研究者へのインタヴューもそれなりに興味深かった。が、彼らの語り口の問題なのか、私の問題意識の問題なのか、多少印象が弱いところもあったように思う。それに対し、やはりその辺りに長けているのは内田・高橋両氏ということになってしまう。
 二人が言うように、日本語が基本的に「コロキアル」(colloquial ; 口語的な、話し言葉の)な言語であり、理念や思想をロジカルに語るには不向きであるというのは、いや確かにそうだろうと思う。そこへきて、というか、だからこそと言うべきだろうが、自民党という良くも悪しくも長らく政権を担ってきた政党は「理念」を持たず、「実体」だけがあるというのは、先日、柴田元幸と高橋源一郎の対談本のところに記した、アメリカが国家ではなく「観念」「理念」「アイディア」でしかないという視点と見事な対照を見せる。つまり自民党はますます「語れない」ということになってしまう。
 ただ、それが日本語の構造である限り、今更どうにもならないし、そのことを自覚していくしかない。その上で外来のソリッドで理念的な言葉を受け止める「コロキアル」でタフな日本語を磨くことが必要だと二人は説く。
 その他、気の合う二人が、シリアスに進めたい渋谷陽一を相手に好き勝手に暴走気味に語る様は、かなりおもしろいし、頷けるところも少なくない。一種の知的なエンターテイメントである。
 二つ目の特集は「中東のリアルとは?」。酒井啓子と田原牧の対談と伊勢崎賢治へのインタヴューの二本立て。前者は研究者とジャーナリスト、後者はNGOまたは国連職員、また政府代表として実際に紛争解決に携わった人物ということで、やはり語り口や切り口が異なる。私は、伊勢崎氏へのインタヴューのほうに、より「リアル」を感じることになった。

内田教授、ご成婚

 内田樹教授が、6/13に華燭の宴を上げられたとのこと。ご自身のブログにその旨、記されている。
 私淑する身としては(というほど大げさなものではないが)、まことにめでたい。
 が、私との間にこれまで維持されてきた独身者という「共通項」が失われたことに一抹の寂しさも感じないわけではない。
 何だか、教授は一度結婚されてはいるが、その後ここまで独身でいたのだから、この先も独身で過ごすのだろうなと漠然と思っていたので、ここに至っての結婚に少々驚いたのは確かである。
 ただこういうのは確かに「縁」ではある。「縁」がここにいたって「結婚」という形になったのだろうということ以外に言いようはない。
 ともかくも、おめでとうございます。

39 / 100

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39. Tears For Fears / The Hurting

 デビューアルバム。つまり例の"Shout"や"Everybody Wants to Rule the World"がワールドワイドにヒットする前のアルバム。
 バンド名も、アルバムタイトルも(ソングタイトルも)ジャケットデザインも、いかにもブリティッシュな、というより精神病理的な、とでも言ったほうがいい趣向のアルバム。で、これが非常によく出来ていたわけだ。確か、クリス・ヒューズやロス・カラムのプロデューサー/エンジニアサイドの評価も高かったと思う。よく聴いたアルバムだった。が、次に出たのが上記のヒットアルバム。音楽性、というより醸し出すムードといったものが一変し、アメリカでヒットし、つまり世界的なヒットにつながった。ということで、ま、いいんだけどね、前のあのアルバムは何だったんだろうという気もしていたリスナーの一人だったと思う。
 バンドは一時解散していたが、再結成というか活動再開しているようである。

Tears for Fears - Memories fade (Live 83)





Aphex twin / Selected Ambient Works 85-92

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 エイフェックス・ツインは、実は今まで聴いたことがなかった。
 特に理由があったわけではないが、たぶん試聴したものが肌に合わなかったのか、大した根拠のないイメージが私にあったのだろう。
 それがふと「アンビエント・ワークス」というタイトルに気がつき、そうか1stアルバムなんだとも思い、試聴の上、中古で安く手に入ったら聴いてみようという思っていたら、 その機会がやってきた。
 92年リリースらしいので、今から17年前のアルバムである。まったく古びていないとは思わないが、リリース時期の割には音は古くない。というより、音の選び方と重ね方を極めてシンプルにすることによって古びないようプロダクションが施されているということだろう。
 彼がどの程度、その辺りを意識したかとは別に、音は結果として、ある種の射程の長さを獲得しているというべきか。
 ただ、少なくとも私にとっての「アンビエント」な音ではない。たとえばブライアン・イーノ的な音とは随分距離があるのは確かである。
 しかし一方で、このアルバムにこうしたタイトルを付けた理由もいくらかなら、わかる気がする。
たとえば「心象風景」を「アンビエント」という範疇に含めることが可能なら、これもまた「アンビエント」と読んでもいいかもしれない。
 あるいはごく日常的な「都市空間」の喧騒が、ここでなぞられているという言い方も可能かもしれない。
 たぶんテクノ・ミュージックにおいては「マイルストーン」のひとつという評価がなされている作品だろうが、やはりそれなりに頷ける。善し悪しは別にして、リズムもメロディも多くはリスナー・フレンドリーである。
 ただ「それなりに」ではあるし、これを今積極的に聴こうとはあまり思わない。それがポップミュージックである限り、時代の「洗礼」は不可避なのだから。
 

ヒュー・ホッパー 訃報

 また訃報である。
 ソフトマシーンのベーシスト、フュー・ホッパーが、6/7に亡くなっていた。
 享年64歳。白血病とのことである。

 私にとってソフトマシーンは、ここ数年、ジャズ・ロックに興味を持ち始めてから聴き始めたバンドで、バンドがジャズロック路線にシフトチェンジしてからのアルバムは一通り聴いた、「なじみのある」ようになったバンドである。彼は3rdから6thまでの在籍で、オリジナルメンバーではないが、近年のソフト・マシーン・レガシーにも参加していたもあり、おそらく多くのファンがバンドのベーシストとして真っ先に思い浮かべるミュージシャンだろうと思う。

 そういや、エルトン・ディーンも2006年に亡くなっているんだよな。

 合掌。
 ご冥福をお祈りいたします。

 で、こちらも2曲ご紹介を。
まず、オリジナルメンバーのロバート・ワイアットがドラマーの時代から。
エルトン・ディーンとリン・ドブソンがサックス。

Soft Machine - Backwa



こちらは、ワイアットとディーンが脱退し、ニュークリアスからカール・ジェンキンスとジョン・マーシャルが加入後。

SOFT MACHINE : Fanfare ~ All White '73


ケニー・ランキン 訃報

 なんとケニー・ランキンの訃報が。
 6/7に、ロサンゼルスの病院で、肺がんによる合併症で、とのことである。
 享年69歳。
 自作曲もよいが、私にはカヴァーの名手との印象が強い。
 "You Are So Beautiful", "On and On", "Groovin'","People Get Ready","Blackbird","Brembau"等々、印象深いものは数え切れないほどある。
 ご冥福をお祈りいたします。
 しかし、何だか、耳になじんでいたミュージシャンの訃報が続く。


 彼を偲んで、2曲ほど。

Kenny Rankin - Oh So Peaceful Here



Kenny Rankin: Haven't We Met

Rockin' on Japan 特別号 忌野清志郎 1951 - 2009

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 忌野清志郎の追悼号。
 これまでの清志郎へのインタヴュー4本と今回の特別インタヴューとして、チャボ(仲井戸麗一)と坂本龍一へのものが1本ずつ。
 その他数多くの写真(清志郎 with ミック・ジャガー、などというショットも)やディスコグラフィー、多くのミュージシャンからのメッセージ等々。
 私がいくらか期待していた渋谷陽一の「忌野清志郎論」的な文章は、巻頭に「まえがき」として2ページに渡って掲載されているだけだが、結果としてはこれでよかったのかもしれないと思う。ほかに、現Rockin' on Japan編集長の山崎洋一郎の「あとがき」がやはり2ページ掲載されている。

 清志郎へのインタヴューは、所々でインタヴューというより、こういう場で、自身の考えていることを言葉にするのがさほど上手くないであろう清志郎と渋谷陽一の「対談」に近い印象もあるが、それは、チャボへのものや坂本龍一に対するものについても、理由は異なるだろうが、ほぼ同様である。ほぼ同年齢の彼らの間には何某かの「連帯感」に近いものもあったのかもしれないと思う。
 だから、ことに清志郎へのインタヴューは、最初の、生い立ちから始まる2万字インタヴュー以外は、二人の掛け合いの妙を楽しむという趣が強いかもしれないし、それはそれでおもしろい。
 一方で、清志郎を「追悼」せざるを得ない状況下においては、感じるところの多いのは、チャボと坂本龍一へのものだろう。
 チャボの言葉には、やはりごく近くにいた存在ならではの、様々な微妙な感情の機微を感じることが多いが、二人の間の「信頼感」のようなものは決して揺らいでいないように思える。インタヴュー終盤での二人のやりとりには、やはり少々「沁みる」ものもあった。悪くないと思う。こういう、「敬意」を素直に表せる表現者を近くに持てたことに対して、二人への「うらやましさ」を感じたほどである。
 坂本龍一の、それとはまた別の立ち位置での、別の角度からの「応答」もおもしろい。清志郎に対する音楽的な「反射神経のよさ」や、渋谷の言う、清志郎の「度量」の大きさや懐の深さと妥協のない姿勢の同居、というところには、やはり感じるものも多い。

 いや、これはいい追悼号だと思う。このところ「ロッキング・オン」の雑誌は、ほとんど読んでいないが、これはさすがに信頼に足る仕事だと改めて思う。

Kero One / Windmills of the soul instrumental

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 アメリカ西海岸在住らしいコリアンMC兼トラックメイカーのKero Oneの1stアルバムのインストゥルメンタル・ヴァージョン。2007年リリース。
 サンプリング以外にローズ、シンセ、サックス、ヴォーカル等の生音を加えた音は、非常にメロディアスで、ジャズというよりメロウなフュージョン仕立てになっている。
 ヒップホップということを意識せずとも充分楽しめるように仕上げられている。
 音の密度が比較的低く、音と音の間を生かしたつくりになっているので、ローズ初め各々の楽器の音も、サンプリングされた音とともに実に気持ちよく聴こえてくる。
 音の粒立ちがきれいにわかるような、そんな「清潔さ」が喚起する「気分のよさ」と日々に必要な「グルーヴ」が感じられる。
 これは傑作なんじゃないでしょうか。
 今年リリースされた2ndでもBen WestbeechやTuomoといった個人的にも割りに趣味の合いそうな人選がなされたヴォーカリストが参加している。
 こちらもできればインスト盤がリリースされんことを。

Gaby Hernandes / When Love

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 カルロス・ニーニョのBuild An ArkやAmmon Contact、あるいはヒップホップ系のDimliteやTakeその他でもフューチャーされていたギャビー・ヘルナンデスの1stソロ。2009年リリース。
 プロデュースは、そのカルロス・ニーニョと、Build An ArkのメンバーらしいAndres Renteria(アンドレア・レンテリア?)にギャビー自身も加わった布陣。曲作りもこの3人で行われ、演奏はAndresとギャビー中心に、カルロスその他が曲によって加わるという形式。その筋では著名なトロンボーン・プレイヤーのフィル・ラネリンも参加。ヴァイオリンやハープの音も聴こえる。ほかにフルートやアコーディオン、サックス等もクレジットされている。
 しかしながら、ここにはジャズもヒップホップも採用されない。フォーク的に素朴で美しいメロディに、それに見合ったギャビーの透明感に満ちた屈折感のない声が乗る。何だか60年代の発掘音源でも聴いているような錯覚を起こしかねないような音である。言い方を変えれば、ある種「浮世離れ」した音ということになる。
 アコースティックな楽器の響きに包まれた、そうした柔らかな「桃源郷」的世界が展開されるのを聴いていると、単純に気持ちいいし、実に穏やかな気分になれる。あるいは「懐かしい」気分と言ってもいい。その「懐かしさ」が向かうのは、むろん「擬制」であり「仮構」である何某かである。私はその対象については、むろん知るよしもない。だからこの音は私の頭にそういう模造記憶的なものを移植する作用があるということだろう。こういうものを、おそらくは「才能」というのだ。
 曲の出来も出色。シンガー/コンポーザーとして彼女が逸材であることも疑いあるまい。
 あとは趣味の問題ということかもしれない。



鷲田清一・永江朗 / てつがくこじんじゅぎょう 〈殺し文句〉から入る哲学入門

 鷲田永江てつがく

 大阪大学総長で哲学者の鷲田に、法政大学哲学科卒でライターの永江が、哲学者の「殺し文句」を題材に「授業」を受けるという趣向の一冊。こちらも敬称略ということで。
 お題は、いずれかの提案によるということで、実際取り上げられる哲学者は、初回のキルケゴールから、最後のメルロ=ポンティまで総勢23人。何回かの「授業」には、内田教授や「ミーツ・リージョナル」の当時の江編集長もゲスト出演する。
 また毎回取り上げられる哲学者の「殺し文句」に当たる一節とそれを含む著作のその前後・周辺の文章も引用される。さらに、取り上げられる哲学者の著作について、鷲田による「読書ガイド」もおまけで付くという、このあたりは非常に読み手に親切な配慮がなされていて好感が持てる。
 京都生まれの鷲田は、その「はんなり」とした口調で、比喩や喩えを用いながら「思想」や「言葉」を解読していき、永江が、私たちの比較的「現実的」感覚としてそれをどう理解・咀嚼するべきかを問いかけていくという構図といっていいか。
 二人の会話は、「殺し文句」や「思想」の周辺を巡りつつ、時に逸脱しまた戻るというような運動を繰り返す。これをただの「解説書」として読む人はいないと思うが、それより、もう少し余裕と広い視野をもって、つまり鷲田の専門(臨床哲学)に沿って言えば、「臨床的」に考える道筋の一つを示唆してくれているということだろうと思う。
 個人的に、印象に残っているのは、オルテガ、フッサール、レヴィナス、バルト、デリダ、ヒューム、九鬼周造、メルロ=ポンティの箇所(多すぎるな)というところか。尤もそれは各々の思想によるというより、その部分の話の展開がおもしろかったからということではあろうと思う。
 ただ鷲田総長と内田教授がそろって推すメルロ=ポンティには、ちょっと惹かれるところも。読む読まないは別にして。

38 / 100

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38. The Waterboys / The Waterboys

 これもたぶん、ユニオンで中古LPを拾ったのだったと思う。ジャケ買いか。
 で、聴いてみると「当たり」だった。フロントのマイク・スコットが、その後少しずつ雑誌等で紹介されるようになるまで間があった気がする。カール・ウォリンガーがまだ加入する前で、サウンドとしてもまだまだ荒々しい時代だった。
 バンドメンバーにサックス・プレイヤーがクレジットされているのも眼を引いたような気がする。楽曲はブリティッシュ・テイストの、クオリティーの高いものが並んでいた。A-2の"A Girl Called Johnny"が、パティ・スミスのことを歌ったものだとか、バンド名が、ルー・リードの曲の詞から採ったものだとかいったその後の情報も、いかにもそれらしく、好感を持って受け入れていた気がする。



Kabusacki Tokyo Session / Kirie

kiriekabusacki.jpg

 アルゼンチン音響派のひとり、ギタリストのフェルナンド・カブサッキがROVO関連のミュージシャン、勝井祐二、山本精一、芳垣安洋 等とフリーセッションした際の音源。2004年リリース。
 プロデュースは勝井祐二。
 曲によって参加ミュージシャンは異なり、曲想・曲調も異なる。ちなみに勝井祐二のライナーによると、メンバーはギタリスト3人、ドラマー3人、ヴァイオリニスト(勝井祐二)1人という構成になる。
 フリーの(どこまで「フリー」なのかは不明)セッションだからして、基本的にいわゆる「構築性」は希薄ではあるが、それでも展開や流れが自ずと現れるのは当然とは言え、おもしろい。ことに24分超の、メンバー7人全員参加の'Strawberry Bridge'は圧巻。静寂から徐々に徐々に、ダイナミズムが形成されていく様は、物語そのものである。
 カブサッキの、というよりあくまで有機体としての「セッション」の、繊細さとダイナミズムが堪能できる。

柴田元幸・高橋源一郎 / 柴田さんと高橋さんの小説の読み方・書き方・訳し方

柴田高橋小説

 二人の対談集。敬称略で記すことに。
 柴田が高橋に聞く「小説の書き方」、高橋が柴田に聞く「小説の訳し方」、二人が各々で選んだ小説を題材にした「小説の読み方」、総括として「小説の書き方、訳し方、読み方」からなる。
 一応役割分担というか、単にものの考え方の違いというだけかもしれないが、柴田が熟慮、慎重型、高橋が、直観、アイディア閃き方という大まかな括り方ができるような気がする。
 個人的には、年齢的に近い柴田の感じ方(私の3つ上。尤も近いのはたぶんそれだけだが。ちなみに高橋は、6つ上。)にシンパシーを感じることが多かった。ただ、そのあたりは、ここ数年の二人の書き物に対する私の感じ方、つまり柴田への好感と高橋への、以前に比較しての少々の物足りなさというか違和感というか、が反映されているようにも思う。
 全体に、かなり興味深くおもしろく読めたのだが、いかんせん、このごろの私自身がほんど小説を読んでいないので、登場する作家や作品のことが二人の説明を別にすると、つまり自らの見方として、ほとんどわからなかった。
 矢作俊彦や堀江敏幸、リチャード・パワーズが「積読」のまま長らく放置されているというのは以前なら考えにくかったのだが。と自身に対して「愚痴」を言っても仕方ない。
 現実にそれなりに小説を読んでいると、さらにおもしろく読めるのは当然か。英語で原著を読んでいるとなおさらというのも当たり前ですね。
 内容的になるほどなと思ったのは、二人が同意した「アメリカっていうのは要するにひとつのアイディアなんだ」と多くのアメリカの作家が語っているということ。現実としての「国家」ではなく「アイディア」であり「観念」だというのは、今後「アメリカ」を「理解」するために有効だろうという気がする

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