■ 100 / 100

100.Neal Casal / Fade Away Diamond Time
一応の最後(100枚目)をどれにしようかと思ったのだが、余計なことを考えないで、今とりあえず割によく聴くものから選択すると、ニール・カサールの1stということになった。1995年リリース。
アメリカの音であることは間違いないのだが、一般的なアメリカの音のイメージとは随分違う。時にジャクソン・ブラウンとの類似を指摘するテキストを目にするが、私はジャクソン・ブラウンを思い浮かべたことは一度もない。
フォーク、カントリー、R&Bといったところが彼の音の構成要素なんだろうが、出てきたものはそのどのイメージとも違う。
シリアスではあるが、メロディは比較的なじみやすい。ペダル・スティールの音が随所に聴こえてくるが、カントリー風味もせいぜい味付け程度である。
彼は一時ブラック・クロウズへギタリストとして参加かと伝えられたほどギターの技量も卓越しているらしいが、やはりヴォーカルというか彼の声そのもののには抗いがたい魅力を感じる。線は太くないが芯は強く、前を見ているばかりではないが、うつむいても顔を何度でも上げられるような、そんな「リアル」な声なのである。
バーバラ・キースの「Detroiit Or Buffalo」のカヴァーは相当にいい。それ以外のオリジナルも皆、佳曲。
プロデュースはジム・スコット。この後「Anytime Tomorrow」でもう一度彼がプロデュースした。3度目を期待したい。
■ 展覧会 その1
随分前に見たものも含まれているが、ここのところ足を運んだの美術展、展覧会について少し。記憶がいい加減になっているところがあるのでご容赦を。2回に分けて。今回は、その1。
まずは、
国立洋美術館 / ユベール・ロベール ─時間の庭─ & ピラネージ『牢獄』展

知人に勧められたのはピネラージの方だったのだが、ユベール・ロベールも併せて見る。
両者とも今までに知らなかった作家である。18世紀の画家で、廃墟のような場所を好んで描いたり、現実にはその場所に存在しないピラミッドを風景に置く等、なかなかおもしろい作風のロベールだが、個人的には、何となく印象が弱い。技量は充分であるのはわかるし「きれい」な作品も多いのだが、そしてその印象の弱さを感じさせる画風が彼の特徴であるのはわかるのだが、まぁ、これは仕方ないか。
ピネラージも18世紀の版画家で、「牢獄」がテーマの連作の作品展。
ただ現実の牢獄を描いたわけではなく、あくまで架空とのこと。牢獄が、版画にとって描きやすい題材だったということなのだろが、何だか西洋的な発想のように思わないでもない。陰影の明瞭な作品郡を眺めると、それもわからないでもない。印象が強いのは認めるが、題材として単調にならざるをえないのは仕方ない。見ていて心地良いという素材でもないだけに、もっと何かやり方はなかったかとも思う。もっと徹底的に写実的に描く等の手法を取れば、印象の質は変わったように思う。
5/20まで。
つづいて、
東京国立博物館 平成館 / ボストン美術館 日本美術の至宝

展覧会の趣旨は、上のタイトルに言い尽くされている。ボストン美術館所蔵の日本美術の名品の数々の里帰り、ということである。平安期から明治に到るまで、確かに数々の名品である。
仏画、平治物語絵巻を含む絵巻、水墨画も見どころなんだろうが、個人的には、室町あたりからの狩野派から江戸期の、狩野派や宗達、光琳、若冲、そして最後の曽我蕭白あたりまでがハイライトであった。
ほかに、刀剣と染織のパートも設えられており、刀剣の良し悪しはわかりかねたが、染織についてはデザインの妙味として結構おもしろかった。
全体に、非常に充実している感あり。
お薦めです。6/10まで。
最後に、
横浜美術館 マックス・エルンスト- フィギアXスケープ

マックス・エルンストは、これまでいくつか作品は見てきたが、個展に出向いた経験はおそらくないし、シュールリアリストの一作家という以上の特定の印象を持ってこなかった。ということで出かけた展覧会だった。
今回は上記のように、フィギア、つまり「キャラクター」と、スケープすなわち風景ないし背景をテーマにしている。
油彩はむろん、コラージュ、版画、彫刻、書物の挿絵等々、様々な媒体が展示されていた。最もわかりやすい油彩でさえ、ああ、エルンストってこんな作品も描いているのかと、特定の印象を持っていないはずの私でさえ思ったのは、ここに展示されている作品の多くが、いわゆるシュールリアリズムのイメージを逸脱はしないものの、もっと軽妙でユーモアを感じさせるものが多かったからではないかと思う。
たとえばグラフィックデザイナーが描いた作品みたいな印象が強かったせいだろうと思う。ということで、気持よく「裏切られた」好例になった展覧会である。
かつ、前回訪れた時にも思ったが、美術館所蔵作品は、やはりすばらしい。
特にシュールリアリズム系統。今回気がついたダリとマグリットの彫刻作品もよかった。
しかし、気になったのは、客が少なかったこと。その分、こちらは気兼ねなく展示を眺められたのだが、こんな質の高い展覧会が開催されているのに、ちょっともったいない気がした。シュールリアリズム系は一般的人気に欠けるということはあるのだろうか。
ということで、皆さん、ぜひマックス・エルンスト展、足を運んでみましょう。
6/24まで。
オフィシャルサイト
まずは、
国立洋美術館 / ユベール・ロベール ─時間の庭─ & ピラネージ『牢獄』展

知人に勧められたのはピネラージの方だったのだが、ユベール・ロベールも併せて見る。
両者とも今までに知らなかった作家である。18世紀の画家で、廃墟のような場所を好んで描いたり、現実にはその場所に存在しないピラミッドを風景に置く等、なかなかおもしろい作風のロベールだが、個人的には、何となく印象が弱い。技量は充分であるのはわかるし「きれい」な作品も多いのだが、そしてその印象の弱さを感じさせる画風が彼の特徴であるのはわかるのだが、まぁ、これは仕方ないか。
ピネラージも18世紀の版画家で、「牢獄」がテーマの連作の作品展。
ただ現実の牢獄を描いたわけではなく、あくまで架空とのこと。牢獄が、版画にとって描きやすい題材だったということなのだろが、何だか西洋的な発想のように思わないでもない。陰影の明瞭な作品郡を眺めると、それもわからないでもない。印象が強いのは認めるが、題材として単調にならざるをえないのは仕方ない。見ていて心地良いという素材でもないだけに、もっと何かやり方はなかったかとも思う。もっと徹底的に写実的に描く等の手法を取れば、印象の質は変わったように思う。
5/20まで。
つづいて、
東京国立博物館 平成館 / ボストン美術館 日本美術の至宝

展覧会の趣旨は、上のタイトルに言い尽くされている。ボストン美術館所蔵の日本美術の名品の数々の里帰り、ということである。平安期から明治に到るまで、確かに数々の名品である。
仏画、平治物語絵巻を含む絵巻、水墨画も見どころなんだろうが、個人的には、室町あたりからの狩野派から江戸期の、狩野派や宗達、光琳、若冲、そして最後の曽我蕭白あたりまでがハイライトであった。
ほかに、刀剣と染織のパートも設えられており、刀剣の良し悪しはわかりかねたが、染織についてはデザインの妙味として結構おもしろかった。
全体に、非常に充実している感あり。
お薦めです。6/10まで。
最後に、
横浜美術館 マックス・エルンスト- フィギアXスケープ

マックス・エルンストは、これまでいくつか作品は見てきたが、個展に出向いた経験はおそらくないし、シュールリアリストの一作家という以上の特定の印象を持ってこなかった。ということで出かけた展覧会だった。
今回は上記のように、フィギア、つまり「キャラクター」と、スケープすなわち風景ないし背景をテーマにしている。
油彩はむろん、コラージュ、版画、彫刻、書物の挿絵等々、様々な媒体が展示されていた。最もわかりやすい油彩でさえ、ああ、エルンストってこんな作品も描いているのかと、特定の印象を持っていないはずの私でさえ思ったのは、ここに展示されている作品の多くが、いわゆるシュールリアリズムのイメージを逸脱はしないものの、もっと軽妙でユーモアを感じさせるものが多かったからではないかと思う。
たとえばグラフィックデザイナーが描いた作品みたいな印象が強かったせいだろうと思う。ということで、気持よく「裏切られた」好例になった展覧会である。
かつ、前回訪れた時にも思ったが、美術館所蔵作品は、やはりすばらしい。
特にシュールリアリズム系統。今回気がついたダリとマグリットの彫刻作品もよかった。
しかし、気になったのは、客が少なかったこと。その分、こちらは気兼ねなく展示を眺められたのだが、こんな質の高い展覧会が開催されているのに、ちょっともったいない気がした。シュールリアリズム系は一般的人気に欠けるということはあるのだろうか。
ということで、皆さん、ぜひマックス・エルンスト展、足を運んでみましょう。
6/24まで。
オフィシャルサイト
■ ピナ 踊り続けるいのち(PINA Dance dance, otherwise we are lost) / ヴィム・ヴェンダース & ピナ・バウシュ 夢の教室 / アン・リンセル

まずはヴェンダース作品(左)から。
個人的には初の3D映画体験。そして衝撃的な映画体験であった。
それは、3Dを有効に使うことによる効果もあるが、まずは「素材」としてのピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団のダンサーの存在、そのダンスの圧倒的な魅力にある。そしてヴェンダースが、3Dをも含めて、彼らの魅力を映像に「巧みに」映像化したことにある。個人的にはオールタイムフェイヴァリットの1本に入る作品になった。
ピナとダンサーたちで作り上げた彼らのダンスの一挙手一投足の動きの、力感、繊細さ。
私には、その動きはどうしても「不自然」に見えたし、今もそう思う。しかし、何に対しての「不自然」なのか。高度に「文明化」された現代に生きる人間にとって、ととりあえずは答えることは可能かもしれないが、それで充分な回答にはならない。が、その直感から出発するしかないように思う。
しかし一方、たとえば「自身を解き放つ」ことの結果が彼らのダンスだとも思わない。というより「自身を解き放つ」ということの意味を私たちはそもそも知らない。
ただその「不自然」さが少なくとも私にとって充分に魅力的映ったわけだから、それが私たちのあり方や振る舞いに反するものではないと考える方が筋が通っている。
思うに私たちは「不自然」な存在なのではないか。
文明化された私たちの存在がまず失わねばならなかったのは「野生」であり、野生に基づいた行為であった。野生動物であった時に備わっていた非論理的で非合理な、しかしだからこそ「信頼に足る」感覚や行為を、恐らく私は映画の中の彼らの動きに見出したのではないのだろうか。
彼らは、生のままの「野生」や「非文明」の持つ「前衛性」や「難解さ」を何の装飾もなく差し出すのではなく、たとえば演劇とそうした動きを上手く融合させることによって丁寧に、それらを最早忘れ去って久しい私たちに、提示してくれたのではないか。その躍動感と心地よさを見ている者にも、驚きつつも追体験させるほど見事に。
いや、だめだ。私が映画を見て感じたのは、そういうこととは違ったはずだ。しかし、現時点で私が言葉にできるのはこの程度である。
「ピナ・バウシュ 夢も教室」(右)は、10代のダンスの指導を受けた経験のない男女が、ピナ・バウシュとダンサー2人の指導を受けながらヴッパタール舞踊団の代表的演目「コンタクトホーフ」を10ヶ月の練習によって舞台で演じ踊れるようにする、というドキュメンタリーである。
若者たち各々が考えていることや感じていることも紹介され、彼らの成長ストーリーみたいな趣きが強い。
彼らを指導するのは、ヴッパタールのダンサー2人が主で、ピナ・バウシュは時折節目で顔を出す程度。10ヶ月後、彼らを見事に舞台をやり遂げてみせる。ヴェンダース作品にも登場していた、つまりヴッパタール舞踊団のよる「コンタクトホーフ」との比較対照をするなら、そこで技術とか巧拙を問うなら、それは比較にならない。見るものが受けとるものは質量とも随分「違う」だろう。それは私のようなド素人でもわかる。
が、全体の印象として、二つの舞台にそれほど大きな「差異」があるようにも思えなかったのである。つまり、そこに通底しているものはきちんと見えたという気がするのだ。若者たちが健闘している、というだけではなく、ぎこちないながら動きそのものは彼らなりの「野生」がそこに現出していたのかもしれない。言い換えれば、ピナの作るダンスは、そうした柔軟性と普遍性を持っているということだろう。
■ Rich Robinson / Trough A Crooked Sun

活動休止中のブラック・クロウズの、たぶんバンマス、リッチ・ロビンソンのソロ第2弾。2011年リリース。1stは未聴。
リッチがギターはむろん、ボーカル、ベースも担当。曲は1曲、フリードウッド・マックのカヴァーが含まれている以外はリッチのオリジナル。
リッチはいわゆる線の太くない「ギタリスト声」で、これでクロウズみたいな曲をやると、ちょっとどうなんだろということになるが、結構フォークっぽい曲調やアレンジが施された曲が多く、彼の朴訥な声やヴォーカルがうまくフィットしている。
メロディも「ポップ」というよりうフォーク的に素朴でさっぱりしたタイプが多く、好感がもてる。
アコースティックギターも結構多用され、エレキも、クロウズでのようなロックンロール的ディストーションサウンドではなく、曲想やアレンジに見合うように腐心されている。
ペダル・スティールみたいな音も出てくる楽曲もある。全体にいい感じにレイドバックしたムードのアルバムで、流していて、ふと耳に留まると、ああいいなと思えるような音である。
バッファロー・スプリングフィールドとかCSN&Y等に、何となく近い部分があるかもしれないと思ったりもしたが、たぶん外れている。
いずれにしろ、もっとロック的だったりソウルっぽかったり、南部色が濃かったりと思っていたら、意外に都市郊外的だったというところか。
この路線なら次も期待したい。そういや兄ちゃんのクリス・ロビンソンもBrotherhoodなるユニット名義で、ニール・カサールを相棒にレコーディングしたアルバムが近々登場の予定らしい。
試聴
■ Alan Pasqua / solo

個人的には、ピーター・アースキンのトリオでアコースティックピアニストとしての魅力を発見したアラン・パスクァのピアノソロアルバム。
レーベルクレジットがないのでもしかしたら自主制作なのかもしれない。
冒頭はアースキンとのトリオでの2枚組ライブアルバムでもCD1の最初に配されていた「To Lovw Again」。メロディのわかりやすい、いい曲である。
全9曲のうち「improvisasion」と冠されたタイトルが4曲あり、聞く前は多少身構えたのだが、どういう理由によるのかは定かではないが、言葉通りであれば、事前に作曲されたものではないというだけで、アルバムのムードに則った、基本的にメロディのきれいな曲ばかりで安心する。
2曲めの「malta」には人の声や雑踏めいた音響、チェロを思わせる楽器音等が挿入され、フィールドレコーディングの体裁が採られており、これはこれでアンビエントな楽曲とも相俟って成功している。
メロディラインは皆穏やかで耳なじみのいいものばかりだが、飽きることはない。この辺は相性ということもありそうに思う。
以前もどこかで記したように思うが、基本的に彼の書く曲は、いわゆる「ジャズ」的なイメージから程遠く、ポップといっていいほどの親しみやすさを持っている。
そういう曲をピアノソロで演ると、場合のよっては「甘く」なりすぎる嫌いもあるのだが、このアルバムでは、きちんと踏みとどまった感がある。
甘さもほどよい程度で、緊張感もある。ビターだったり、メランコリックだったりした味わいも織り込み、トータルにジャズリスナーにも聴かせる音になっている。
好作品である。
試聴

