■ 51 / 100

51. Jeff Beck / Blow by Blow
ジェフ・ベックがギター・インスト路線へ踏み出した、いわずと知れた1枚目。
リリース当時は、さほど鉦や太鼓で騒いで祝いだというわけではなかったが、ジャズやフュージョン方面へと足を踏み入れるようになってからは、これと続く「ワイヤード」はやはり聴く頻度がぐっと増し、聴くたびに何某かの感心をすることととなった。
マックス・ミドルトンやリチャード・ベイリー、フィル・チェンといったバッキング陣も実にファンキーで腰の強いサウンドを創り出している。その中で、ベックは元来のブラックミュージックへの憧憬と信頼を、ダイナミックにのびのびと発揮しているように思える。
やはり傑作。
物言えば唇寒し秋の風
ではなかろうが、今週から通常通り更新できる思惑だったのだが、外れてしまった。
なかなか世の中うまくいかないものである。申し訳ない。
今回UPできたのも、実はストックがあったからであるが、そのストックも尽きつつある。
やはり、この時期、私の仕事は、以前より、一時的にではなく、恒常的に増えているようだ、たぶん。だから、もしこれまで通り更新するとしたら、もっと記事を簡略化するか、あるいは多分それなりにあるはずの無駄な時間を削るか、いずれかである。
検討してみたい。かつ、その間を縫って「エントリー記事」を書くべく努力したい。
いずれにしろ、これまでに比べ更新頻度が(多分)落ちるのをご了解ください。
■ 50 / 100

申し訳ない。
ここのところ更新が滞りがちになっているのは、単に仕事が忙しくなっているからである。希望的観測では、たぶん来週くらいから、ほぼこれまでに近い頻度の更新が可能になるのではないかと思われる。ご了解を。
50. Beck, Bogart and Appice / Beck, Bogart and Appice Live
最初に買ったのは、LP1枚に編集されたヴァージョンだった。たぶん金を惜しむ理由があったからだろう。
日本でのみしか発売が許可されたなかったのは、演奏の出来があまりよくなかったからだとかいう話もあるようだ。言われてみれば、ミストーンも少なくなさそうだが、ライブでノー・オーヴァダブだとこんなものなんじゃないかとも当時思っていたように思う。
これが、まれに聴くストロング・スタイルのハード・ロッキン・ライブアルバムであることを認めたうえで、あえて言うと、やはりヴォーカリストの不在は大きいということになる。ここにロッド・ステュワートがいたらと思わないではないということだ。あるいは、ボブ・テンチでもいい。
ただ逆に言えば、その不在こそが、このバンドをこのバンドたらしめた決定的な要素であるということでもある。
しかし、クリームやエクスペリアンスと比較するにはキャリアがどうしたって短すぎるのも明白である。
まぁ、かっこいいことは間違いないんだけれど。
■ 訃報 加藤和彦
遅ればせながら。
突然の訃報に驚いた。それも「自殺」とは。
フォークルはリアルタイムだった。ということは、彼の活動はすべてリアルタイムだったということだ。
私は、彼にとってはあまりいいリスナーではなかった。彼名義の音源を身銭を切って聴いたのは、たぶん「サイクリング・ブギ」の7インチシングルだけだと思う。
が、そうでなくとも、拓郎の「結婚しようよ」や泉谷の「春夏秋冬」のアレンジは、そしてむろんミカ・バンドの音はその時代毎に頭の中で反芻されていた。
フォークルのメンバーで、かつて作詞家として活躍し、現在は精神科の医師である、きたやまえおさむ氏が、10/19の朝日新聞朝刊にコメントを寄せている。
タイトルは「加藤和彦さんを悼む すべて一流のプレーヤー」。
「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。」と書きだされる文章は、長年の友人にしか許されない表現と文体で綴られている。
その中に、挙げられているのが、「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」という「今から数十年前の」加藤和彦の言葉で、氏は、彼は何をやらせても「一流」で「天才」的だったと述べている。
たとえば、ここに現れている「趣味人」的な意識と姿勢が、音楽方面では何枚かのソロアルバムの販促コピー等にも感じられ、私には少々「違和感」として残ったのだろうと思う。「パパ・ヘミングウェイ」とかあの頃である。
けれど逆に、ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」とか上記の「サイクリング・プギ」のように大衆的にポップに振れ切れたときの「瞬発力」は、そういう私のような凡人にも十二分に魅力的に映ったし、たぶん音楽のクリエイターとしては確かに「天才的」だったのかもしれないと思う。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かぬところへ飛んでいった。」と言いながら、訃報を聞いてから、おそらく癒えぬ辛さと無念さを抱えたままの氏は、「しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」と述べて文章を閉じる。
全文がここやここに転載されている。
いい文章だと思う。
辛い思いを抑えようという意志とそれでも抑えきれない思いが、この文章に充分な深度を与えている。
きたやまおさむ氏が、NHK-FMで番組を持っているらしいので、聴いてみたいと思う。
加藤和彦氏のご冥福をお祈りいたします。
突然の訃報に驚いた。それも「自殺」とは。
フォークルはリアルタイムだった。ということは、彼の活動はすべてリアルタイムだったということだ。
私は、彼にとってはあまりいいリスナーではなかった。彼名義の音源を身銭を切って聴いたのは、たぶん「サイクリング・ブギ」の7インチシングルだけだと思う。
が、そうでなくとも、拓郎の「結婚しようよ」や泉谷の「春夏秋冬」のアレンジは、そしてむろんミカ・バンドの音はその時代毎に頭の中で反芻されていた。
フォークルのメンバーで、かつて作詞家として活躍し、現在は精神科の医師である、きたやまえおさむ氏が、10/19の朝日新聞朝刊にコメントを寄せている。
タイトルは「加藤和彦さんを悼む すべて一流のプレーヤー」。
「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。」と書きだされる文章は、長年の友人にしか許されない表現と文体で綴られている。
その中に、挙げられているのが、「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」という「今から数十年前の」加藤和彦の言葉で、氏は、彼は何をやらせても「一流」で「天才」的だったと述べている。
たとえば、ここに現れている「趣味人」的な意識と姿勢が、音楽方面では何枚かのソロアルバムの販促コピー等にも感じられ、私には少々「違和感」として残ったのだろうと思う。「パパ・ヘミングウェイ」とかあの頃である。
けれど逆に、ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」とか上記の「サイクリング・プギ」のように大衆的にポップに振れ切れたときの「瞬発力」は、そういう私のような凡人にも十二分に魅力的に映ったし、たぶん音楽のクリエイターとしては確かに「天才的」だったのかもしれないと思う。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かぬところへ飛んでいった。」と言いながら、訃報を聞いてから、おそらく癒えぬ辛さと無念さを抱えたままの氏は、「しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」と述べて文章を閉じる。
全文がここやここに転載されている。
いい文章だと思う。
辛い思いを抑えようという意志とそれでも抑えきれない思いが、この文章に充分な深度を与えている。
きたやまおさむ氏が、NHK-FMで番組を持っているらしいので、聴いてみたいと思う。
加藤和彦氏のご冥福をお祈りいたします。
■ 49 / 100

49. Brian Eno / Music For Airports
イーノのアンビエント・アルバムはかなり聴いた。たぷん最初に聴いたのは、"Discreet Music"だったと思うが、やはり聴く頻度はこの「エアポーツ」が最も高い。
コンセプトも音も、それまでほぼ考えもしなかったようなものだった。画期的だった。音自体も非常によく出来ていて、まことに心地よかった。今、私がジャズやいわゆるクラブ系と称される音を聴くことが多いのは、このイーノの一連の作品に出会ったことが大きいような気がする。当時の私にとっては、いわゆる「音楽」という概念を覆してくれた作品群であり、これがその最たるものということになる。
■ Joe Henry / Blood From Stars

本年リリースの新作。
バンドには、2人のキーボード・ブレイヤーとサックス&クラリネットを兼任するプレイヤーが含まれるが、何と言っても今回の目玉はギターのマーク・リボーということになろう。
ゲストのジェイソン・モランの生ピアノに導かれる"Prelude : Light No Lamp"からして、アルバムや封入されたブックレットのカヴァーに使われた50年代の写真から立ち上ってくる、今は失われてしまった「ムード」が伝えられる。それはたとえば、文字通りの意味で「国をつくる」ことの意味を直に確かめられた時代への郷愁に似た何某かということになるかもしれない。あるいは手や額に汗した労働の時代といってもいいのかもしれない。
「ジャズ」というわかりやすいタームで括れるような音ではない分、音の質は、より深化し、彼の声も自身の中の「アメリカ」を探索すべくその位置を定めたかのように思えるが、一方で声もサウンドも決してただ内へ向かうばかりではない。内へ向かうと同時に外部を撃ち、あるいはそこへ浸透するような「手練」も感じさせる。
総じて印象は、しかしながら今回、率直でストレートである。音数も少なめに、言葉とメロディを紡ぎ落とす。苦い声と地に脚をつけたアレンジで時間と空間に呼吸させながら楽曲を進めてゆく。
ロマンティシズムとリアリズムが交錯する様は、恐らくアルバム・タイトルに最も象徴的かもしれない。とはいえ、詞もろくに読んだわけではないのだが。
今回もまた傑作というべきか。アルバム"Scar"以降、プロデューサー業も含め、充実する活動の中、それなりのインタバルでこうしてきちんと自身のアルバムを届けてくれるのは、リスナーにとっては嬉しいことだし、また彼の好調さを証立てている。
試聴

