豆腐に柳

音楽、書物、映画、美術展等の感想、その他日々のあれこれ

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2017年 夏の終わり 関西小旅行


昨年につづき、今年も夏の終わりに、関西に小旅行に出かける。
「会えるうちに会える人に会っておく」「見られるうちに見られるところを見ておく」というのが一応の趣旨である。

昨年が1泊旅行だったのに対し、今年は2泊。昨年は京都だけだったが、今年は京都に加え、神戸もいくらか。
宿泊は2泊とも神戸。会う人が、神戸と大阪在住のゆえである。
また、昨年が伊藤若冲生誕300周年に合わせた展覧会その他を巡るのが細目だったが、今回は、人に会う以外は、神社仏閣その他を巡り、あと、写真は昨年同様、数だけはある程度撮ろうと考えている。

ということでその小旅行について時系列にしたがって書き連ねてみたい。ほぼ自身の記憶の確認と、最近さぼっている作文のリハビリのためである。

初めに言っておくが、かなり長い。その割にたぶんつまらない。

読まれる方は、どうかそのあたりを踏まえた上で読んでいただけるとありがたいです。誤字脱字もあろうかと思いますが、適当に「変換」して読んで下されば幸いです。

初日

まずは、午前10過ぎに新横浜から新幹線で京都に向かう。
昨年は「虚弱体質」が顔を出して、少々「酔う」はめに立ち至ったが、今年はそれもなく、2時間ほどで京都駅到着。

相変わらず、「インバウンド」だかなんだかで、外国の方々で賑わっている。
アジアではほぼ中国、たまに韓国その他。中国の方々は、もしかしたら他国の方々より「おしゃべり」で、したがって耳に響くだけかもしれないけれど。
欧米方面では、英語は最も耳にしているはずなのだろうが、感覚的には、フランス語(たぶん)を聞く機会が多かった気がする。欧米出身とは限らないのかもしれない。
また、駅周辺ではそうでもなかったが、河原町とか四条とかでは、季節柄かそれ以外もあるのか、若い子が男も女の、衣を着ている姿が目立った。
ただ、女の子はそれなりに見えることが多いのだが、男の子はまず似合わない。似合っている若い子には一人も出会わなかった。たぶん体型や顔立ち、ヘアスタイル等々が「和装」向きにできていないんだろう。女の子がそれなりに見えた理由はわからない。実際そういうものなのか、それとも、単に、私が男のせいなのかもしれない。

もうひとつ、外国の方々および日本の若い方々が「自撮り」に勤しむのもたくさん見かけた。
いや、まぁいいんですが、インスタでも何でも好きに楽しんでくだされば。個人的には「自意識過剰」が透けて見えるようであまり好きじゃないなということで。
ただ、昔、山崎正和がどこかに書いていたが、それだけ彼らは、「過ぎ行く時間」の速さを意識しているのかもしれない。だから、その時間の中の自分自身、を確認するための「痕跡」をいくばくかでも残したいと考えている、というのはありえる話だ。

閑話休題。

駅構内で、たぶん昨年と同じ店で昼食(カツカレー&アイスコーヒー)をとり、その後、行程を確認して、コインロッカーへ荷物を預けに行くが、空いているロッカーがなかなか見つからない。
見上げれば、京都はいくぶん曇りがちだ。ただ、かと言って暑くないわけではない。

ちょっと離れたところまで移動してようやく300円ロッカー(500円のやつだと結構空いている)を発見。事前に携帯物を移動しておいた小ぶりのトートバッグに財布、カメラや携帯等が入っているのを確認して駅に向かう。
JR奈良線に乗り、東福寺駅で京阪に乗り換え、清水五条まで。そこから徒歩7,8分で六波羅蜜寺へ向かう。
道中ほぼ人がいない。途中で工事関連で歩行者の誘導を担当しているおじさんにお寺までの道を尋ねるも、わからないとのこと。でもその後誰かに聞いてくれたのだろう、背後から声をかけてくれて次の道を右折するよう教えてくれる。ありがたい。

そこから数分でこじんまりしたお寺に到着。
六波羅蜜寺は、曹洞宗の開祖・道元が説法した場とされることから興味を持ったのだが、そもそもは10世紀半ばに空也によって開かれた寺である。道元は、13世紀の半ばあたりに説法の記録があるらしい。

敷地は広くないし、地味といえばそうかもしれないが、それでも外国の方々も含めてそれなりに人が集まっていた。
しかしどうも朱塗りの鮮やかさが、個人的にはやや興ざめに映る。朱塗りは神社のイメージがあるのだがお寺でもあるんだな。
その後、今回のメインの一つ、「建仁寺」に向かう。六波羅蜜寺から歩いてすぐのところ。

建仁寺はご案内のように、臨済宗の開祖・栄西が開いたお寺。
きっとこちらはそれなりにと思っていたら、幸運なことに、広大な敷地にもかかわらず訪問客はまばらにしかいない。
外国の方々はむろんいらっしゃるが、いずれにしろ全体にはかなり空いている。

こちらはに朱塗りはほぼなく、概ねしぶい色合いのお堂、建物が並ぶ。
人力車でやってきたカップルも見かけた。
敷地をぐるっと見て回る。
昨年は、京都の空が異常なほど鮮やかにくっきりとした青に映ったが、今年はやはり雲が多いせいか、ややかすみくすんだ印象。それでも、だいぶ晴れてきて日差しも強くなった。

その後、特に予定はしていなかったが、すぐ近くにあるメジャーどころ、八坂神社に足を伸ばしてみることに。
京阪の祇園四条駅あたりから賑やかに観光客が行き交う四条通を歩く。舞妓さんが歩くという花見小路を過ぎて、街中の奥にこちらもやっぱり朱塗りの神社が見える。
外国の方々、浴衣姿のカップルその他で、さすがにこちらはかなり人がいる様子。場所によっては「混雑」しているところも。

ただ、率直に言って、ここは今ひとつだった。「観光化」の許容は仕方ないだろし、神社それ自体が変わったわけではないのだろうから、まぁ相性の問題かもしれない。
ここには横断幕様のものが張ってあり、なんと今年が「本厄」であるのに気がついてしまう。そうか、まだ「厄年」が残っていたか。うう。どうか何事も起きませんように。でもお賽銭、納めなかったな。まぁ今となっては仕方ないんだけど。

その後まだちょっと早かったが、祇園四条から阪急河原町へ向かう。途中、四条大橋を渡る。
下は鴨川。悪くない風情である。街中に流れる川。うん、これはいい。河岸でまばらに人が憩っているのも「絵」としていい感じ。
京都駅まで阪急と地下鉄を乗り継ぎ(ほんとうは歩いてもいいのかもしれないが、なんせ方向音痴なもので行く着く自信がまったくない)、京都駅近くの星乃珈琲店で一休み。宿のある神戸に向かう準備をする。
コインロッカーから荷物を引き出し、神戸に新快速で向かう。ほぼ1時間で三宮到着。

予約したホテルをネットで確認するが、どうも実際にどの道をたどればいいのかわからず、ホテルに電話して尋ねる。
一旦電話を切って言われたとおりに道を進むが、歩道橋付近で行き詰まり、もう一度電話。歩道橋に上がればホテルの看板が見えると言われるが、全然わからない。歩道橋を降り、近くの中華料理屋の前で待てと言われ、迎えに来てもらうことに。いやちょっと恥ずかしい事態である。
しかしその後、そこからホテルまでたどった道を鑑みるに、看板があったとして本当に見えたんだろうか、と。結局、確認せずに終わったので真相はわからねど。

部屋に入って少しだけ休み、それから待ち合わせ場所の阪急三宮駅西口目指して出かける。
が、東口はわかるが西口がわからぬ。と言っているうちに約束の時間を過ぎ、携帯に電話がかかって、事情を話すと、東口まで周ってきてくれた。感謝。やはり方向音痴である。
ということで、10年ほどぶりに、かつて同じ職場で仕事をしていてその後、大学の先生(実はわが母校の、同じ学科同じ専攻の) になった20ほど年下の当時好青年、今は40直前の一児の父と飲む。

神戸生まれで岡山育ち、大学は東京だった彼と話して、もう少し老後になったら(すでに老後だが) 関西移住(正確には「出戻り」だが)もありだなと思う。彼は神戸をまずまず気に入っているようだ。確かに海と山に囲まれた住むにはいいところだよな。上京してしばらくのうちは、老後は神戸だなと何となく思っていたことをふと思い出した。

11時前に切り上げ、ホテルに戻り、シャワーを浴びて寝る。一日目終了。

2日め。

朝8:30に電話でセットしておいたモーニングコールがなぜか作動しなかったらしく、気がつくと9時前。
外はいい天気だ。
前日コンビニで用意しておいた「朝食」、およびトイレとシャワーをすませ、10時過ぎにはチェックアウト。
ここで3日分用意しておいたはずのシャツが一枚(つまり着てきたの一枚)しかないのに気づく。困ったな。むだな出費は避けたいものの、炎天下を歩くことを考えると、もう一枚は必要に思える。

2日めも神戸に泊まるのだが、ホテルは違うので移動しないといけない。
JRに乗り、JR神戸で降りる。ホテルのチュックインの時刻まで時間があるので、売店の多少お歳を召したおねえさん(失礼!)にコインロッカーの場所を尋ね、荷物を入れて、京都の際と同じくバッグに携帯品を入れ、ちょっと休憩のため、駅に隣接するテナントビル内のあるスタバに入る。
オーダーをする際におねえさんに、近くにユニクロはないか尋ねてみる。するとここから徒歩で数分の「ハーバーランド」なるショッピングモールみたいなところにあると教えてくれる。
アイスコーヒーを飲み、ネットでこれからの行程を思案する。

まずはハーバーランドのユニクロを目指す。
地下道を通って歩いてしばらく行くと「案内版」があり、ユニクロはumieと称する施設にあるらしい。
さらに進み、一旦地上に出てさらに近隣のビルに入る。そこからさらにumieを目指すつもりだったが、途中で「しまむら」を発見。入って探してみると、1500円で悪くないシャツを発見、購入。たぶん「しまむら」で買い物をするのは初めてだが、いや悪くない。夏の終わりのせいか、Tシャツも軒並み500円。みな安そうだ。
結局、umieもユニクロも今回はパス、ということになる。
そこからまた来た道を戻り、JR神戸からJR須磨まで行き、そこから山陽電鉄の須磨駅まで歩き、さらに山陽電鉄に乗って、お隣の須磨浦公園駅下車。
この、今までにほとんど乗ったことがないんじゃないかと思う山陽電鉄が大層よかった。このひなびた感じ。海を眺めながら、その匂いを感じながらというのは至極快適。夏の終わりの昼間という状況がそうさせたのかもしれないが、ああいいなぁと。尤も、住みやすいかどうかはわからない。

大学が神戸だったのに、少なくとも大学時代に須磨浦公園に来た記憶がない。もっと幼いころに親に連れられて来た可能性はあるが、記憶は定かではない。
空はすっかり快晴である。そして暑い。
須磨浦公園をあちこち歩いて、散策したり写真を撮ったりする。途中で熱中症が気になってミネラルウォーターを買いに駅前に戻る。
 
海岸から沖の方へ伸びる海づり公園を見ながら、いいなぁ行ってみようかなと思いつつ結局今回は見合わせる。今、確認したら、基本的には、文字通り釣りのための施設のようだが、入るだけなら200円らしいので、次に機会があれば行ってみようと思う。機会があるかどうかは何とも言えないが。

駅から右手の坂を上がったところに海づり公園や沖を見晴らせる丘があり、沖を行く船影を眺めながらちょっと休憩。
しかしつくづくいい眺めだ。海浜や海の眺めにこれほど魅力を感じるとは思わなかった。
蕪村の「春の海 終日のたりのたりかな」の句碑が通り過ぎた場所に立っていた。
春ではないが、夏の海も春に劣らずまことにおだやかで言うことなし。何枚か写真を撮るが、写真の腕の問題か、結局、そこに漂う雰囲気のようなものまで写真が掬い上がられないからか、いまひとつの画像しか撮れなかった。
もう少し写真の勉強をしたほうがいいんだろうな。

樹々の中には、すでに紅葉を見せているのもちらほら。この暑気の中にも、微かな空気の変化を感じている。
当初は、このあと須磨離宮公園も訪れる心づもりだったのだが、空腹感と暑さで断念。涼しそうなところはないかと思ってここから割りに近い須磨海浜水族館まで行くことにする。
しかし、その前に飯だ。JR須磨まで戻ればどこかあるだろうと思い、戻る。が、甘かった。
ざっと見渡して、ほぼ入る気になる店がない。いや、ほんとにどこでも良ければないこともないのだろうが。
入ろうかと迷ったのは「なか卯」だけだった。JRの駅の向こう側をのぞいたら、海水浴のビーチが広がり、若い子向けの「海の家」からはダンサブルな音楽が聞こえている。いずれにしろこちらがわも状況は同じ。
ということで、水族館の中にレストランがあるのを確認して、とりあえずJR須磨海浜公園までいく。その駅の周りには、しかしコンビニくらいしか見当たらない。ので、水族館までの道を駅員さんに尋ねて歩きだす。
数分で到着。それまでに悪くなさそうな店も見かけたが、ともかく水族館まで行ってしまえということにする。

入場料は1300円と割にリーズナブル。
真っ先にレストランに向う。とりあえずランチでがあるがしっかり食べようとハンバーグとヒレカツみたいなメニューをオーダー。
ようやく人心地つく。

それから、外から見たよりひなびた感じの水族館を見て回る。それなりに楽しかった。いわゆる実演ショーみたいな類の企画はパス。
園内は、小さい子を連れた親子連れ(+おじいちゃんないしおばあちゃんという場合も)が6割から7割、友人、カップルの若い子たちが3割から4割といったところか。

1時間余りいたかと思う。
その後、JR神戸まで戻り、コインローカーから荷物を引き出しホテルにチェックイン。今度は地下道から楽にホテルまで行き着ける。
少し休んでから、JR大阪駅で待ち合わせがあるので、時間を確認して再度出かける。
30分足らずでJR大阪駅に到着。
大学の先輩夫妻(奥様は私と同学年)はすでに到着していた。
来ていた先輩に連絡してもらっていた、もうちょい上の先輩がもうひとりいるのだが、来られるかどうかわからないということで、はっきりした返答が得られていないらしい。
まだ未着のその先輩は携帯を持っていないということで、結局約束の時間の5分過ぎで、無理そうだという判断でお店のある天満に環状線で移動する(後でメールをもらってわかったことだが、この先輩、6時にはJR大阪駅に着いていたそうで、こちらがもう少し待てば合流できていたことが判明。申し訳ないことをした)。

天満は、たぶん関西在住時にも来たことがなかったはずだが、駅周辺の商店街やその横道を入ると小さな飲食店が延々と軒を連ねるようなところで、いかにも大阪的な雰囲気のところだった。
予約は取っていないようで、最初に当たった店は客で一杯で入れず断念。次に当たった中華系の店でとりあえず席を得る。客が全然入っていなかったので、大丈夫かと思っていたが、料理は悪くなかった。
そのうち客も入ってきて、こちらが店を後にする頃にはかなり賑わっていた。
普通の居酒屋とは全然違うメニューはかえってよかったかもしれない。

それから、河岸を変えて2軒目は、個人営業みたいな、割に普通の居酒屋?だが、ここも客はほとんど入っていない。この先輩はどうもそういう嗅覚をもっているような気がする。
店のTVでは、サンTVが当然のように阪神タイガース戦を中継していた。

話は、互いの近況なり、健康ないし病気の事情なり、趣味なりで大体がいつもの話であるが、楽しく過ごせた。
夫妻に多謝。お土産に「ラスク」をいただく。

10時半すぎころに店を出て駅に向かうも、多少アルコールが回ったか駅を見失いうろうろしていたら、とある女性が親切に声をかけてくださる。どうも天満の駅からはかなり離れたところまで来ていたようだ。結局、地下鉄を使い、来たときとは別のルートで大阪駅まで戻る。どなたかは知らねど、ありがたいことだ。感謝。

駅で夫妻と別れて、再会と、会えなかった先輩にこちらのお土産を届けてくれるようお願いして別れる。

神戸のホテルに戻ったのは11:30を回っていた頃か。
1階にセブンイレブンが入っていたので、翌朝の朝食を調達し、部屋に戻り、シャワーを浴びて寝る。2日め終了。

3日め。

今回は電話でセットしたモーニングコールが機能して8:50という中途半端な時間にちゃんと起こしてくれた。

前日同様、コンビニで調達しておいた「朝食」、およびシャワーとトイレをすませ、10時過ぎにはチェックアウト。
ホテルのチェックアウトって普通10時だと思っていたのだが、前日のホテルのチェックアウトが11時、この日も同じだったので、今は11時が普通なのかもしれない。かつてが10時だったという記憶も怪しいといえば怪しいのだが。

とりあえずJR神戸駅まで行き、前日と同じスタバに入り、今度はホットコーヒーをオーダーする。
本日の予定・行程を検討。
前日に時間があれば神戸の港あたりをぶらぶらしようと当初は考えていたのだが、それが叶わなかったので、3日めにもちこさず、今日は予定通り京都へ「戻る」ことにする。
神戸の土産を駅周辺で探したがさして見つからない。京都にはあれだけひしめいているのに。 三宮に行けばあるのかもしれないが。近くの店で「神戸限定」なるモロゾフの「プリンクッキー」を購入。
中高の同学年で大学卒業後モロゾフに就職した中川兵庫くん、元気ですか。

それからJR神戸から新快速で京都へ。

JR京都駅のコインロッカーに荷物を預け、昼食をとる。
時間帯のせいか駅周辺の店はみな混んでいてなかなか入れるところが見つからない。
ちょっと離れたところまで歩いて、ようやく空席のある店を見つけて、スパゲッティのランチをオーダー。で、なんとスパゲッティに「パンかライス」が付くという。
いやぁ、関西だ。うどんをおかずにご飯を食べるに近い。どちらもいらないと言う「勇気」を出せず、「パン」を注文。
でもやってきたパンは、フランスパンをスライスしたのが2切れだけだったので、これならOK。
食事をすませ、紅茶を飲む。
その後、嵐山方面に向かうため再び駅に。

JRで嵯峨 嵐山まで行き、そこから歩いて嵐電嵯峨駅で京福電鉄に乗り換え、嵐山まで。「嵐電」は京福の嵐山本線の通称らしい。
京福の運賃は大人一律220円。かつ乗車券を前もって買うのではなく、今回は嵐山で降車後、精算する。スイカも使えた。すべてがこういう方式かどうかまではわからないが、なかなかおもしろい。短い距離だと割高だが、風情も楽しむ料金だと思えばいい。
で、目的は「竹林の道」。
観光ルートに載る「ベタ」な選択だろうが、ネットで見たあの光景にちょっと興味をそそられた。

駅を出て、予想通り観光客のひしめく中をネットの情報を頼りに「竹林の道」を目指す。駅前にはここにも人力車が結構客待ちをしていた。
駅から歩いて10分くらいで竹林が出て来る。

ちなみに、下記のサイトが参考になった。

https://www.kyotojapantravelmap.jp/randenkeifuku-arashiyamasta-bambooforest/

いや、これはなかなか見られない光景だ。神秘的幻想的、ある種、宗教的な想念をも促す。
考えてみれば「竹」というのは変わった植物なんだろうな。あれだけ垂直方向にしか伸びない種類って他にあるんだろうか。それともそういうイメージが誤っているのか。

竹林が始まって数分で野宮神社に着く。
割にこじんまりした神社である。ここではお賽銭を納め、手を合わせる。

その後、左手を進む。竹林はますます日常から乖離した風情を醸し出す。
写真を撮りつづける。竹林が日差しを遮り、温度もいくぶん下がる。空は、竹林に区切られて矩形に近くなる。
影になった道をぞろぞろと観光客が歩く。ただここでも皆さん、「自撮り」が目立つ。こちらが通り過ぎるのを躊躇することも何度か。

来た道を戻り、野宮神社を今度は右手に行ってみる。しばらく歩くと小さな踏切が見える。ここで以前問題になったような、線路に座り込んで写真を撮るインバウンドの方を見かけ、とりあえず特段大きな危険もなさそうだったので、ため息を押し殺して、 そのまま進むと、竹林の中に入れる歩道が設定されている地域に出る。入ってみたが正直なところ、いかにも管理されている感触が伝わって来てあまりおもしろくはなかった。

来た道を引き返し、野宮神社から駅へと戻る。
駅の近くまで来て、ふと天龍寺に立ち寄ることにする。予定外だったので、そのときはよく知らなかったのだが、調べてみたら「世界文化遺産」だそう。へぇ。臨済宗の禅寺である。「京都五山」の第一位、とウィキペディアにはある。
今回は、禅寺周りが(事後的な)テーマの一つだったということにしておく。

広々とした敷地を歩いて行く。
やはり、いくら観光化されても、神社仏閣にはある種の佇まい、気配が存在し、それが、私たちの中に潜んでいて日頃意識されない、五感とは別の回路で「感じ」とれる機能を活性化し、そこに漂う某かを「感知」させるように思う。
その種のものは、元来、必要があれば覚醒する、のではないかと。まぁ以前より随分弱くなってしまったのだろうけれど。
人知を超えた何かを実際にその場所で感じたというわけではないが、某かがやはり「存在」するように思える。

それから京福の駅に戻り、一両編成の電車に乗って、終点の四条大宮まで行く。
途中、街中に入ると、まるで路面電車のようだ。いいなぁ、これ。

四条大宮で降りて、阪急の大宮駅まで歩き、そこから阪急で河原町まで行く。
時間があれば、八坂神社近くの「何必館・京都現代美術館」で開催中の「北大路魯山人展」を見ようかと思っていたのだが、帰りの新幹線の時間を考えると1時間もいられないので断念。
八坂神社の隣りにある円山公園を散策することにする。
昔、円山公園の音楽堂で結構、野外コンサートが開催されていたのを覚えている。今回は野外音楽堂までは足を伸ばせなかった。

ここも結構、観光客で賑わっている。
虚無僧みたいに編笠を被って着物を着た方が、尺八(だったか?)をストリートミュージシャンみたいに演奏していて観光客を集めていた。

小一時間ほど散策して、河原町からJR京都まで戻る。
お土産を買い(しかし京都の土産もちょっとマンネリな気がする。いまさら八つ橋でもないし、かといって洋菓子買ってもな、という。結局、後者にしてしまったが)、しばらくして帰りの新幹線に乗り込む。

こうしてほぼ時系列に書き連ねてみると、やっぱり長いな。

昨年に比べると、人に会うということ以外のテーマが「弱い」気がする。来年があるなら、来年は「テーマ」をもう少し決めておいたほうがいいのかもしれない。
まぁ、しかしこれはこれで、OK。ということにしておく。

そして今回の隠れたテーマは「事故」である。細かい予定外のことが多発した。事なきを得たのはみな周囲の皆さんのおかげである。ほんとに。

関西圏だけに限っても、まだまだ京都も神戸も知らないところだらけだし、さらに大阪や奈良は、まだほぼ「未開」の地だ。
まぁ、ぼちぼちいきますわ。

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東京オペラシティアートギャラリー 「Life is hard...Let's go shopping. 片山正通百科全書」

片山正通

5/11、東京オペラシティアートギャラリーで「Life is hard...Let's go shopping. 片山正通百科全書」を見に行く。
ちょっと間が空いてしまった。悪しからず。

今まで知らなかったが片山正通は、ユニクロやユナイテッドアローズ等々を手がける高名なインテリアデザイナーとのこと。
彼が事務所ワンダーウォールに普段は陳列されている現代アートや写真、映像、インテリア等々のコレクションを再構成するという主旨の展覧会。
以前、同じ主旨で開催された、村上隆のコレクション展を横浜美術館で見たが、その際に感じた何でもあり感に満ちた楽しさがここにもあった。いくぶん今回の方が整理されていたり、まとまっていたりしてはいたが。

まずは壁面に広がるCD棚。むろん全部チェックしたわけではないが、洋楽ロックやポップスを中心に(たぶん)日本のものも数多い。洋楽のロックについてはある程度趣味が重なっているのを感じたが、まぁこれだけあると誰でもそう感じるのかもしれない。

その他、興味と関心の赴くままといった風情のコレクションが、それでも分類、整理されて並ぶ。
シロクマ、虎、スヌーピー、リッケンバッカーのギターも。

一つを除いて写真撮影OK。その「一つ」は、見るには結構待ち時間が長かった。さらにSNSでの感想も「禁止」ということだった。という部分にはちょっと違和感もあったが、これも企画のひとつという理解をしておく。

それから例によって、サブの展示2種も見る。こちらもいつものようにおもしろかった。

http://www.operacity.jp/ag/exh196/


映画 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

マンチェスター

5/15、イオンシネマ多摩センターで映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見る。
監督・脚本はケネス・ローガン。プロデューサーにマット・デイモン。
主演は、一応、ケイシー・アフレック。

この映画を見るまで「マンチェスター」がアメリカにもあることを知らなかった。まぁ「パリ(ス)」があるのだからマンチェスターもあって不思議ではない。それも実はアメリカ全土で都合10ヶ所もあるそうな。その中でこの映画に登場するのはニューハンプシャー州のそれのようだ。

かつてこの町で家庭を持ち、故あって今はボストンで1人で暮らすリーが、兄ジョーの死によって町に戻ってくるところから話は始まる。

兄は遺言を残しており、リーが、ジョーの息子パトリックの後見人になることになる。
ただし、リーにはここにとどまりたくない理由があり、パトリックにはここにいたい理由があり、なかなかうまくいかない。肉親の死という悲劇の後、2人が混乱しつつ、喧嘩したり感情的なったりしながら、折り合ってゆく様が、彼らの周囲の人々も含めて描かれる。

プロットや展開は控えるが、町に戻る前のボストンでのリーの生活や、かつてマンチェスターで家庭を持っていた時の暮らし、そしてそこで起きた「出来事」、元の妻との再会、パトリックの母、つまりジョーの別れた元妻との再会等々が映画をひとつひとつ丁寧に形作っていく。パトリックと2人のガールフレンドとのコミカルな要素も織り交ぜながら。

しかし最も印象に残ったのはこの町自体の佇まいかもしれない。海と自然がある、郊外の開けた町。牧歌的で開放感のあるいい雰囲気なのである。

ローガンの脚本もケレン味はないが滋味深い。夢を実体化させたりする小技も含めて、実際の生活者としての感情の機微がうまく表現されている。尤もそのあたりは演技者の仕事ぶりも併せてということになろうが。
演技者ということなら、やはりリーのどこか気だるそうな話し方やムードは魅力的に映る。ただ他のキャラクターも悪くない。
一点だけいくぶん違和感を覚えたのは、音楽の使い方だろうか。少々くどい感じがしたところがあった。

いずれにしろ、こういう比較的地味な映画をきちんと評価するのはアメリカのいいところだ。
きついこともあるけれど、それでも人生は続く。続くのならば、ささやかでも幸福は見いだせる。

お薦めです。

http://www.manchesterbythesea.jp/


泉屋博古館別館 「屏風にあそぶ 春のしつらえ」 & Bunkamuraザ・ミュージアム「写真家ソール・ライター展」

泉屋博古館

5/3、南北線の六本木一丁目で地下鉄を降りて、住友コレクション泉屋博古館別館で「屏風にあそぶ 春のしつらえ 茶道具とおもてなしのうつわ」を見る。

知人に招待券をもらい、5/7までという期限もありこの日に赴く。
茶碗等の茶器と絵画。
茶箱等に描かれた蒔絵がすばらしかったのと、「二条城御幸屏風」(作者不詳)、さらに明治の画家、深田直城の「春秋花鳥之図のうち春」、こちらも明治の望月玉渓の「白耗孔雀図」(二文字目は 本来は禾偏に毛)、さらに「伝 佐々木庄次郎」の花瓶に薄い陶器で作られた数多くの花模様を貼り付けた作品等。殊に、深田直城と望月玉溪の繊細な描写力には驚く。知らない優れた作家はまだまだたくさんいるんだなと改めて。

https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/schedule.html

ソール・ライター

5/3、それから渋谷に移動、Bunkamuraザ・ミュージアムで「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」を見る。
写真家、ソール・ライターについては昨年、イメージフォーラム等でドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」が公開されていて、見ようかどうしょうかと思っているうちに見そびれた。
というのも、原題通りとは言え、タイトルの後半がちょっと何だか引っかかったからだ。

ライターの写真作品には、映画の公開時から興味があったので出かける。
何でも元は画家志望で、ユダヤ教のラビである父の跡を継ぐため神学校に通っていたが嫌気が差し、親の反対を顧みずNYへ出てきたらしい。が、画家としては食えず、写真の仕事をするようになった。今回は画家としての作品も出展されていたが、抽象画、具象画両方ともおもしろいし悪くないが、写真と比べるとどう見ても写真だろうということになる。
それほど彼の写真はすばらしい。
ただ、写真家として才能と成功の背景に画家としての資質は当然影響しているはずだ。

50年代にファッション写真を撮り始め、そのセンスの良さで「ハーパース・バザー」等で頭角を表し、売れっ子写真家になる。
その後70年代までは活躍を続けるが、81年には仕事が減り5番街のスタジオを閉め、その後、表舞台から姿を消す。
その後、1994年、イギリスの会社が補助金を出し、ライターが40年代50年代の撮って現像していなかった作品が現像されたことから、再評価されるようになる。
写真展が開催され、再評価から少々時間はかかったが、2005年にはドイツの出版社から写真集も出る。

ファッション雑誌の作品も悪くないが、何と言っても40年代50年代のカラー写真である。
ほぼ、ライターの周囲の街並みを撮ったものだが、色彩感覚といい構図の切り方といいアングルといい、つまりどのタイミングでどこからシャッターを切るかという点において天賦の才能を感じる。
ほんとうにさりげない、特別なものはなにもないはずなのに、それがこれほど魅惑的であることの意味を改めて考える。

いや、ほんとうにすばらしかった。個人的な相性もあったのだろうが、これはお薦めです。

カルティエ=ブレッソンとは、また別の意味で衝撃的な写真群だった。

たぶん、Bunkamuraル・シネマで再上映が期間限定で決まった先述のドキュメンタリー映画も、都合さえ合えば見に行くことになるはず。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/

東京都美術館 「ブリューゲル「バベルの塔」展」 & 東京ステーションギャラリー 「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」

バベルの塔展

5/2、東京都美術館で「ホイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルランドの至宝-ボスを超えて」を見る。しかし長いな。

一応GWの最中なので混んでるかとも思ったが、それなりに客は入っているものの、思ったほどでもなかった。

私なんぞは、ブリューゲルといえば、いわゆる農民画家というイメージしかなく、「バベルの塔」さえも知らなかった。

会場入り口横のスペースに大友克洋が描いた「バベルの塔」の内部、題して「INSIDE BABEL」が掲げられている。塔に切り込みを入れて内部が可視化されているのだ。結構おもしろい。
でも大友克洋って本業のマンガ作家としては何をしてるんだろうか?。

この会場は例によって、地下1F、1F、2Fの順で回る。
16世紀ネーデルランドの彫刻から始まり、その後、宗教画等々が続き、1Fに移動してここからサブタイトルの挙げられていたヒエロムニス・ボス関連。
ブリューゲル関連は、ボスの後の1Fと2F。2Fは「バベルの塔」関連だけ。1Fのブリューゲルは、版画である。

オランダやベルギーというのは結構美術史的におもしろい土地柄のように思うのだが、今回はボスとブリューゲルが後に控えていたせいか前半部はいまひとつ印象に残るものは少なかった。

「奇想の画家」と言われるボスだが、彼自身の油彩は25点しかないようで、そのうち2点が出展されていた。
細かいところにたしかに「奇想」が見られるが、結構細かいところで、言われないとわからないとも。
今回の展示では、そのボスの作風を受け継いだ16世紀半ば以降の、ブリューゲルが下絵を描いたものも含めた版画作品に多く「奇想」はわかりやすく表現されている。
半人半獣みたいな奇妙な生物が跋扈するのが「テーマ」になっているほどである。おそらくは人間や社会の風刺や皮肉から由来しているのだろう。画風的には何だか現代のアニメーションに通じる気配も。

最後は、「バベルの塔」のセクションで作品以外に、東京藝大が精度を高めて拡大化した(3倍?)した複製はおもしろかった。細部の細やかな描写や描き込みがわかりやすい。
本物は、列に並んで作品の前を立ち止まれずに通り過ぎるだけというのは、それなりに客が入っていたせいもあり仕方ないのかもしれないが、どうなんだろという気も。だから複製の方はじっくり見られてよかった。というのは、でも倒錯した感想だな。

全体としては、悪くないというくらいかも。

http://babel2017.jp/

ヴェルフリ

5/2、「バベルの塔」を見た跡、東京駅に移動して東京ステーションギャラリーで「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を見る。
知らない作家だが、アウトサイダー・アートないしアール・ブリュットとも呼ばれるらしい。
おそらく、正規の美術教育を受けずに描かれた作品群と見ていいのだろう。

19世紀後半にスイスで生まれ、孤独と貧困の中で生活を送り、犯罪を何度か繰り返した(子供に対する性犯罪のよう)後、統合失調症と診断され精神病院の収容されたのが31歳。その4年後、鉛筆、色鉛筆、新聞用紙を与えられた彼は絵を描き始める。それからヴェルフリは膨大な量の作品を描くことになる。

描かれた多くは、非現実の、幾何学的な構図を持った完結した世界で、色鉛筆で彩色が施される。描かれるのは、絵、文字、そして音符。
確かに物語性は感じる。さらに言葉と音楽への執着、ないし情熱か。もうひとつは、やはりある種の幼児性。
子供はこういう絵をよく描く。そんな気がする。

展覧会サイトには、
彼は、自身の生い立ちを冒険記に書き換え、理想の王国を築いて「世界征服」をたくらみ、また「音楽監督」として作曲に没頭したが、それらは彼にとって空想や非現実ではなく、すべてが真実と疑わない自身を投影したものだ、というような記述がある。

むろん、実際が、この文言の通りかどうかはわからない。
ただ、おそらく「現実」に彼の居場所はなかったのだろう、彼の認識では。では彼はどこで生きるか、この想像上の物語の中で生きるしかない。という心的事情は少なからず存在しただろう。

ただパラノイアの思考形式の特質として、それがどれほど非現実的であっても、整合性や秩序を持つと聞いたことがある。つまりそういうことをやはり感じざるを得なかった。形式的な思考にすぎるだろうか。

おもしろい、というよりこの密室性、完結性に「怖さ」を感じるところのほうが大きかったというのが率直なところである。

「バベルの塔」との共通項は、やはり細部へのこだわりという点か。まぁそれをいえば、すべからく「表現者」というものは、それがないと成立しないのだろうけれど。

でもこの美術館の企画は、やはり結構おもしろいと改めて。

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

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